少女の夜想曲

 懐中時計は、午前二時を指していた。こんな夜中に、などと思い空を見上げても、四六時中こちらを見つめる大きな月と目が合うばかり。

 時間の概念がその他大勢の魂とは少し違うコトノハたちは、昼夜を問わず業務に勤しむ。

「こんばんはメイヤー、ロベリアでーす」

 ふわふわとした声色で少女はドアをトントンと叩く。部屋の主の返答がしばしば遅れがちなことはすでに今更であるため、多少無音が続いても、少女は鼻歌を歌いながら大きな扉の前で待ち続けた。が、一分、二分、ついには十分を過ぎても、扉の向こうから返事が返ってくることはなかった。

「遅い! 何してるの! 居眠りしてたら許さないから!」

 少し――いや、かなり強めに扉を叩く。が、やはり返事はない。のんびり少女でも流石につま先をパタパタとゆすり始める。

「ちょっとぉ! メイヤー! 呼んだのキミでしょ! メイヤ――!」

 三度目のノック、というよりもすでに体当たりに近い勢いでの呼びかけに、ようやく扉が開かれる。合図もなしに不躾だ、と言ってやりたい気分だったが、扉を開けた者の姿を一目見て、すぐに少女は溜飲を下げるのだった。

「およよミッケル、どうしたの? すごく困った顔してるよ?」

 少女にわしわしと頭を撫でられ、ミッケルと呼ばれた犬は嬉しそうに尻尾を振った。しかしすぐに情けない鳴き声を上げ、少女のスカートを咥え、控えめに引っ張るのだった。

「奥に行けってこと? なんだか嫌な予感しかしないなぁ、もう帰っちゃおうかな。……嘘だよ嘘、ちゃんと行くよ」

 キュンキュンと小さく鳴くミッケルを一撫でして、少女は部屋の奥のもう一枚の扉に近づき、そっと耳を押し当てる。この部屋の扉とは違い、ボリスの私室へと続くこの扉にはそれほど防音効果はない。ミッケルを困らせるほどのなにがあるのかとある種の期待に胸を膨らませながら耳を澄ますと、なんだ、なんてことはない、【いつもの】であった。

 そのやり取りにいい加減うんざりしている少女は、まさに遠慮なしといったふうに、扉を勢いよく開いた。

「こんばんはぁー! 勝手に入りまーす! 来たので帰りまーす! バカに巻き込まないでくださーい! では!」

「あっあっ! ロベリアさんお願い行かないで!」

「あれ? あれあれあれ」

 すぐさま踵を返したが、予想外の人物の声に呼び止められ、少女――ロベリア・アザリーは振り返る。

「クロナちゃんじゃない。うそぉ、まさかこのバカみたいな言い合いを本人の目の前でやってたの? 本当にバカじゃないのー!?」

「そ、それが……わたしがね、今回の依頼人……優しい犬の女の子だったのだけれど、その子の話をしていたら、いつの間にかどっちがわたしの犬に相応しいか、なんていう言い合いに発展してしまったの……」

「うわぁ……」

 半泣きでそう訴えるクロナの背中を優しく叩きながら、ロベリアは目線だけを動かして、言い合いをしている二人を見る。そして大きく溜息をついた。

 どちらがクロナの犬に相応しいか、などという不毛な争いをしているのは、桃髪の少女シオンと、この部屋の主、ボリス・ガーランドである。この二人はクロナへの愛ゆえか、事あるごとに何かとクロナに相応しいのはどちらかという争いを繰り広げている。ロベリアからしてみれば、当の本人を困らせてしまっている事実のもと、どちらも大層相応しくないと言える。

「ご、ごめんなさいわたしのせいで……」

「大丈夫だよ~クロナちゃん。いつもどおり、クロナちゃんには欠片ほどの非もないよぅ」

 身長はクロナとほぼ変わらないが、実際にはクロナより、そしてクロナより年上のシオンよりも幾分か年上のロベリアは、妹のように可愛がっているクロナに助けを求められて逃げ出すほど薄情な人間ではない。のしのしと二人に近づくと、大声で怒鳴りつける。

「ちょおおおっとキミたち! そのおバカな言い合いにそろそろ決着をつけなよ! だらしない!」

「なによ! ロベリアは引っ込んでてよ!」

「僕たちは大事な話してるんだよ! こればっかりはロベリアにも止める資格は……」

「そうだね!」

 持っていた本を床にベチンと叩きつけると、その大きな音に驚いた二人は一瞬押し黙る。

「そうだねキミたちのなっさけないキャットファイトになんかロベリアさんも興味ないけど、キミたちが大好きなご主人様をドン引きさせちゃってる現状はさすがに見過ごせないかなぁ!」

 ロベリアに賛同するかのように、ミッケルも控えめに吠える。するとシオンは信じられないものを見るような顔で同じく吠えた。

「嘘でしょ、アインツもロベリアの味方をするつもりなの!? 私じゃなくて!?」

「なんでそんなにミッケルが味方につくことを疑うことなく信じてるの……この子はまともな人間の味方だよ」

「私がまともじゃないっていいたいの!?」

「まともな人に失礼だよそれは」

 またもロベリアに続いてクンクンと鳴く従順な犬に吠えそうになったシオンだったが、ふと自分と同じく吠え叫んでいたはずのもう一人が静かになっていることに気づき、疑問の声を上げる。

「……ちょっと。なに静かになってるのよ。私ばっかりバカみたいじゃないのよ」

「いや、シオン。僕、ハウゼンを見ていて気づいたんだけど」

「なによ」

「躾けられた犬は、不用意に吠えない」

「……はっ……!」

 僕は従順ないいわんこだよ、と言わんばかりに背筋を伸ばし始めるボリスを見て、悔しさのあまりシオンが床を叩き始めた頃、やり取りに飽きてしまったロベリアはクロナとミッケルを連れてそそくさと部屋を出て行くのだった。

「あ、あのロベリアさん……!」

「いいのいいの、もうほっとこあんなの。ミッケルもおいで」

 あのようなやり取りを見せられても二人を見放さないクロナは扉を閉じたあともしきりに後ろを振り返っていたが、じきに二人と一匹が部屋から消えたことに気づくであろう彼らには少し反省してもらう必要がある。ロベリアは心を鬼にして、彼らの更生を願うのだった。

 ――ていうか、ああいう時の二人とは同じ空気吸いたくないよね!

 心の中の正直過ぎる意見はかろうじて飲み込み、ひとまずロベリアは街の喫茶店へと向かうことにした。飲料に関しては完全に自動化されているそこは、活動時間が深夜にまで至るコトノハたちに多く利用されている。もしかしたらコトノハのために作られた施設なのかもしれないが、真実を知るものはいない。

 本日は非番であるにも関わらず深夜に呼び出され、挙句要件を言い渡されずに部屋を出ることとなったロベリアは大層憤慨していた。しばらくのうちはあの二人からの個人的な頼みごとは受け入れられないことだろう。

「ロベリアさん、本当にごめんなさい。あの……二人が、あんなで……」

「クロナちゃんはちょっと優しすぎだよ……。過保護にしすぎてあんなになっちゃったのかもね?」

「うう……」

「うそうそ、過保護にしてあんなになっちゃったのは事実かもしれないけど、クロナちゃんがそうしようとしてああなったわけじゃないし。あの二人が大人げないだけだよ」

 わふ、とミッケルも賛同する。

 先程よりミッケル、アインツ、ハウゼンという3つの名前が飛び交っていたが、三匹の犬がそこにいたわけではない。その名前は全て、初めにミッケルと呼ばれた犬の名前である。

 ゴールデンレトリーバーのオス、まともな人間の味方である彼の名前は本来アインツであるはずが、その名を知らないコトノハ達が次々に名前をつけてしまった結果、今のように様々な名前で呼ばれるようになったのである。賢い彼はどの名で呼ばれてもきちんと返事をするがゆえ、名前が統一されることなく今に至っている。ちなみに、本来の名であるアインツと彼を呼ぶのは現状シオンだけである。

 そんなミッケル――アインツの頭を撫で、ロベリアは思い出した様に言う。

「そうだ、ロベリアさんは非番だからいいけど、クロナちゃんは何か用事はなかったの? 勢いで連れだしちゃったけど」

「いいえ、とくには。強いて言うなら、一応ボリスに呼び出されて、部屋に行ったのだけれど……」

「あれぇ、クロナちゃんも? そういえばロベリアさんも、メイヤーに呼ばれて行ったんだよぅ。結局なんの用事だったんだろうねー?」

 他人事のように言いながら、ロベリアは手際よく二人分のコーヒーを淹れ、片方のカップをクロナへ渡すと、もう一つのカップに口をつける。息を吹きかける様子がないことから、ロベリアが飲んでいるのはアイスコーヒーのようだ。

「? どうしたのクロナちゃん。お姉ちゃんに見とれて」

 自分を見つめる視線に気づいたのか、ロベリアはそう言い笑ってみせる。ばれないようにしていたつもりだったのか、クロナは指摘を受けて大きく跳ねた。

「ごっ、ごめんなさい! 失礼よね、じいっと見るなんて……」

「いいんだよぅ、私、クロナちゃんに見られて悪い気はしないもんね。それに」

 一度言葉を切り、ロベリアは困ったように笑う。

「これでしょ? 気になってるの」

 彼女は自らが手にしているカップを持ち上げてみせる。その動作に、クロナは申し訳無さそうに首を縦に振った。朝が来ないこの街でも、夜の時間には少し冷える。そんな中、クロナには温かい飲み物を渡し、自身は冷たい飲み物を。なにも彼女は、冷たいものを好んで飲んでいるわけではなかった。

「んー……そうだねぇ。まだ、やっぱり熱いものは無理かなぁ~……」

 カップの中の液体を軽く揺らめかせながら、ロベリアはポツリと呟く。

 彼女は死後この世界に訪れた時には、すでに熱いものはおろか、温かいものにさえ触れることができなくなっていた。正確には、それほど高くない温度のものでも、触れると火傷を負ったかのように痛むのだ。原因は分からないが、ボリスが言うには、生前の出来事が関係している可能性があるのだそうだ。

 ロベリアには、クロナと同じくして生前の記憶がない。つまり、そのままでは魂の休息もままならないほどの記憶を、時計塔が一時的に隠しているのである。

「隠された記憶の中に答えはあるんだろうけど……今はあえて、知りたいとは思わないなー。どうせ最後には、返してもらえるんだしね」

「徐々に良くなってはいるんでしょう?」

「ほんのちょっぴりずつだけどね? 別に冷たいものが嫌いなわけじゃないし。まあ、でも、早くみんなと同じものに触れたりできるようになれば、とは、思うかなぁ……」

 ロベリアはへらりと笑って答える。少し残念そうにしているが、落ち込んでいる様子はない。

「きっと、感覚が普通に戻る頃には、お姉ちゃんもコトノハ卒業だね。つまりまだまだ先ってことかなぁ? やった、まだまだクロナちゃんと一緒だねぇ!」

「そ、それは嬉しいけれど。おなじコトノハとしては、早く卒業できるように祈りたいわ……」

「クロナちゃんは真面目だねぇ~」

 そんな他愛のないやり取りを続けているうちに、クロナが手にしていた熱いコーヒーも、気がつけば冷たくなっていた。お揃いになったね、などとロベリアがいうものだから、クロナは笑いながらカップを持ち上げてみせるのだった。

 彼女らが、ちょっとした隙に自身を語ることはわりと多い。長く悩めばしこりになるし、あまりに考えなければ自分がここにいる理由さえ忘れてしまいそうになる。だから、ちょっとした時に、ちょっとだけを、ほんのお茶請け代わりに。

 なので、近づいてくる騒がしい二つの足音を合図に、二人は話を終わらせたのだった。

「意外と早かったね。といっても、あと十分遅ければ帰るつもりだったけど」

「この度は本当に申し訳ございませんでした……」

「この度だけじゃないけどね」

 深々と頭を下げるボリスに追い打ちをかけてから、頬を膨らませてそっぽを向いているシオンにもロベリアは無理矢理頭を下げさせる。

「ちょっと何するのよ!」

「ロベリアさんに謝りたくないのはよ~くわかるけど、せめてクロナちゃんにはちゃんと謝りなさい! 絶交されても知らないよ」

「ぜっ……!? ご、ごめんなさいもうしません!」

 ――その言葉のとおりならなぁ。

 いつも言うだけ――一応努力はしているかもしれないが、感情に任せて行動してしまうのだろう――で結果を残さない二人に冷たい目線を浴びせながらも、隣でもう許してあげてという視線を送ってくるクロナに免じて、ロベリアは仕方なく、本当に仕方なく許すのだった。

「ありがとう、ロベリアさん」

「うーん、なんだかこの二人がダメになってるのすごくわかっちゃうなぁ……。まあいいや。で、メイヤー・ボリス、ロベリアさんたちに一体何の用があって呼びつけたのかな?」

 ロベリアの表情から苛立ちが消えたことを確認すると、ボリスはほっと一息ついたのち、被っていた帽子を取り顔を扇ぎながら言う。

「えっとね、実はちょっと補給作業を手伝って欲しいんだよ。ここのところ、君たちも含めみんな忙しくてね。僕とノーレッドだけじゃ、手がまわらなくて」

 なにせあの大きさだからね、とボリスは時計塔を指差す。釣られて全員ボリスが指し示す方を見るが、今更確認するまでもない。すぐに視線を戻し、ロベリアはうんうんと首を振った。

「なるほどねー、わざわざ嫌がらせのために午前二時に呼んだんじゃなく、手が開いてる人を複数集められるのがこの時間しかなかったわけだね? ならまあ、仕方ないかな」

「最初からそう言ってくれていたら、すぐにでも作業に取り掛かることができたのかしら……」

 何気ないクロナの呟きに、ボリスは頭を垂れる。

「返す言葉もないよ……」

「違うの、責めてないわ。とにかく、急いだほうが良いということよね。それなら今すぐにでも始めないと。どうすればいいのか教えて?」

 時計塔のためなら、と心よく引き受けるロベリアとクロナとは打って変わって不満気な顔をしているシオンを盗み見るボリスだったが、彼女は機嫌の良さそうな顔をしていることの方が稀なので、了承ととって話を続ける。

「これをね、時計塔の色んな所に撒いてきてほしいんだよ」

 ボリスはどこからか虹色の宝石を取り出すと、少女たちの目の前へと差し出した。初めて見る輝きの宝石に、少女たちは一斉に目を丸くさせる。

「これ……どうしたの? わたしたちが集める宝石は、一色のものばかりよね」

「うん。みんなが集めてくれたものを合体させたのがこれなんだよ。で、みんなに撒いてほしいのは、これを細かく粉状にしたもの。それは僕の部屋に保管してあるから、一度戻ろうか」

「最初から言ってくれていたらこの移動もなかったんだよねー!」

「僕が送るからもうほんと許してください!」

 彼らが騒いでいる間に、クロナは先程から一言も喋っていないシオンの方に歩み寄ると、服の裾をちょいちょいと引っ張る。

「そんな顔しないで、一緒に行きましょ?」

「クロナがそう言うなら……」

「じゃあ決まりね! 終わったら、一緒にお菓子でも食べましょう。ね?」

「……約束よ?」

「もちろん。それじゃあ、ほら」

 ボリスが出現させた魔法陣に足を踏み入れると、クロナはシオンにその手を伸ばす。相変わらず不機嫌な顔のままだったが、クロナの手をぎゅっと握るとシオン自身もそれに乗り込む。全員が陣に入ったことを確認したボリスは魔法を発動させ、一同は再び時計塔へと舞い戻った。

「四人一度に飛べるなんて便利だよねぇ~。全員が全員懐中時計を開いてるところなんて街の人に見られたら、何か事件かと思われちゃいそう」

「組んでも二人一組が限界だからね」

「私は別のコトノハに面倒を見てもらったけど、クロナちゃんとも一度組んでみたかったなぁ……」

「わたしは、ほら、シオンと組んでいたから。それもほんの少しの間だけだったけれど」

 その言葉に何故かシオンは自慢気な笑みを浮かべてみせた。

「シオンって、ほんっとーにクロナちゃん好きだよねぇ……」

「僕も好きだよ!」

「はいはい」

 自室の奥から探しものが見つかったのか、ボリスはひょっこりと姿を現しながらちゃっかりと主張する。このようなやり取りの積み重ねがいつもの不毛な喧嘩なのだとすると、どうにも防ぎようがないように思え、ロベリアはクロナの苦労を想った。

「おまたせ。これを適当な感じで頼むよ」

 少女たちは各々に手渡された袋の中を確認するが、いまいちよくわからないという顔をしている。

「ええと、さっきもそう聞いたけれど……補給、なのよね?」

 みなの疑問をクロナが代表してボリスに問うと、彼は笑顔で首を縦に振る。

「そうだよ。ああ、補給って言うと、どちらかと言うと宝石そのものをセットするようなイメージがあるかな?」

「私はそっちのほうがしっくりくるわ」

「ロベリアさんもー」

「うん、心臓部に近いところはそういう補給の仕方なんだけど、僕らが歩いている廊下の間にも、実はたくさん機械が入っていてね。その子たちは大きな固まりの宝石を消費できるほど力がないから、こうして細かくしたものを撒いてあげるんだよ」

 例えばこういうの、とボリスが差し出したのは、露出している大きなそれとは比べ物にならないほど小さな歯車だった。クロナはそっとそれを手に取ると、まじまじと見つめた。

「なるほど……小さい子たちも、頑張ってくれているのね」

「そういうこと。実際に宝石を撒いてみるとわかってもらえると思うよ」

「へー? よくわかんないけど、とりあえず了解で~す。さあ行こう行こう!」

 ロベリアの元気な声を合図に、少女たちは部屋の外へと出る。が、ボリスの部屋から一歩でも足を踏み出せばそこはもう廊下であり、彼女たちはここから作業を始めることにしたようだ。

 まずはクロナが粉になった宝石を手のひらに少しだけ取り、遠慮がちに床に落とす。するとみるみるうちに宝石は床に広がっていき、その様を見た少女たちはあっと声を上げる。

「これ見たことあるぅ!」

「私も。なんかいつも落ちてるやつだわ。あいつ、これのこと言いたかったのね」

「わたしも……時々床がきらきら光ってると思っていたけれど、宝石の粉だったのね」

 クロナは先程よりも多く粉を取り、さらさらと床に撒いてみる。床に触れたところから粉はふわりと光を帯び、薄暗い廊下で控えめに輝く。

「綺麗……。星空みたいだわ……」

 宝石に負けないくらいきらきらと瞳を輝かせ、クロナはそっと呟いた。そのきらめきがもっと見たくて、クロナは次々と粉を撒いていく。

「わ、私もやる!」

 彼女の楽しそうな顔を見てやる気が出たのか、シオンも袋の口を解いて粉を撒く。クロナのやり方と比べると彼女のそれはさながらぶちまけるといったふうだったが、落ちた分だけ広がる粉の様子を見ていると、全ての廊下に撒き終わる前に粉が不足する、という心配はなさそうだ。

「よ~し、それじゃあお姉ちゃんもやってこうかな」

 ロベリアも二人に続いて作業を開始する。

 さらさら、きらきら。自分の手で星空を作っているようで、とても楽しくて、綺麗で、嬉しい。しばらくすれば、コトノハとして仕事を任された少女たちではなく、煌めく舞台の上ではしゃぐ普通の少女の姿に変わっていった。

 

「お、やってんなァ! 作戦は成功ってとこだな」

 整備作業が一段落したノーレッドが、開かれたままの扉の向こうから聞こえてくる楽しそうな声に、満足そうに頷く。

「でもオメー、普通にたまには息抜きしてくれって言えばいいんでねえかい?」

「いや……それで休んでくれたら良いんだけどね。大丈夫だと言って、聞いてくれないだろう?」

「うーん、確かにそうかもなァ。働きもんだからなァ」

「ノーレッドがいつも面倒臭がる作業であんなに喜んでもらえるんだ。君もさぼった甲斐があったってことさ」

「うぐぐ」

 ボリスの口から息を吐くように漏れた皮肉に気づいたノーレッドは、大きな耳を押さえてぷるぷると震える。

「だがようオメー、本当に休んでほしいのはクロナちゃんだけなんだろ? なんであの二人も一緒なんでい」

 その言葉に一瞬眉をひそめたボリスだったが、すぐにいつもの――普段と比べると幾分真剣なものではあったが――表情に戻ると、ふっと息を吐く。

「いや……彼女二人にも休息は必要だと思っているよ。それに、大切な友人と過ごす時間というのは、何にもかえがたい安らぎを得られるものだ」

「……そうだな」

 何か言いたげな表情を浮かべていたノーレッドだったが、結局何も口にすることなくボリスのそばから離れ、その足元にいたアインツにちょっかいを出し始める。そしてボリスもそれから口を開くことなく、黙々と自身の仕事をするのだった。

 

 見事時計塔の廊下を一面の夜空に染め上げた少女たちが、空になった袋の中を名残惜しそうに眺めながらボリスの部屋へと戻った頃、部屋からはすでにノーレッドの姿は消えており、黙って機械を弄っているボリスと眠るアインツだけが異様に静まり返った部屋に取り残されていた。

「メイヤー終わったよぉ~! ……おーい? メイヤー?」

 ロベリアが声をかけるが、ボリスはこちらに気づかないまま、何かの部品であろう金属片を熱心に磨いている。集中力を欠いて手元が狂ってはいけないので、誰も二言目を発せずじっと彼の作業を見学していたが、ようやく視線に気づいたのかボリスが顔を上げる。

「っ……び、っくりした……。いたなら声をかけてくれよ……」

「呼んだよ~結構おっきめの声で。ね、クロナちゃん」

 ロベリアに同意を求められ、クロナは素直に答える。

「え? ええ。集中していたみたいだから、そのあとは黙っていたけれど」

「そ、そうか。それは悪かったね」

 ボリスは凝り固まった身体をうんと伸ばすと、椅子に座り直して少女たちを見る。

「さて、ご苦労様、みんな。楽しかったかい?」

 途中からボリスの思惑に気づいた三人は顔を見合わせると、満面の笑みで一斉に答えた。

「「「はい!」」」

 彼女たちの少女らしい笑顔をしっかりと受け止め、ボリスは頷く。

「それはよかった。いやあ、本当に助かったよ。これはほんのお礼だから、遠慮無く受け取って」

 粉が入っていた袋を受け取る代わりにボリスに差し出された大きめの箱の中身を覗くと、いち早くロベリアが叫ぶ。

「お菓子だ! ロベリアさんマカロンもらうー!」

「えっうそ、ちょっと待って! フィナンシェは残しといて! ギモーヴもクロナに置いときなさいよ!」

 勢い良く群がる少女二人に背を向け、クロナはボリスの顔を覗きこむ。

「いいの? あんなにもらってしまって……」

「もちろん。僕が君たちにお礼としてあげられるものなんて、あれくらいしかないからね」

「……ボリスの分はちゃんと残してる?」

「僕の分の心配は」

「だめ。ただでさえ頭を使う作業をしているんだから、糖分はちゃんととらなきゃ。あ……でもこの世界でそんなこと関係あるのかしら……」

 妙なことでうなり始めるクロナを見て、ボリスは思わず吹き出す。

「ひ、ひどい! 真剣に考えてるのに!」

「ごめんごめん。ありがとう、クロナ。僕の分はあとでちゃんともらってくるから」

「ちゃんとそうしてね?」

「うん」

 約束よ、と念を押す少女を見つめ、ボリスは眩しそうに目を細める。

 時折そのようにする彼の表情にクロナはなぜか懐かしいものを感じるが、いつもその正体はわからずじまいだ。妙に恥ずかしいような、嬉しいような。でも、嫌な感じは、これっぽっちもしない。

「クロナちゃーん、早く選ばないとなくなっちゃうよ~?」

「だからギモーヴは置いときなさいって言ってるでしょ!? どさくさに紛れて貪ってんじゃないわよ!」

「まだいっぱいあるじゃん。クロナちゃんいくらギモーヴ好きだからってこればっかりは食べないと思うな~。おんなじものばっか与えとけばいいとか言う発想じゃそのうち飽きられるぞ!」

「うっ……」

 シオンが頭を抱えて後ずさるのを見て、クロナはボリスから視線を外し慌てて彼女を支える。

「あ、飽きないから! 飽きたりしないからしっかりして……! ロベリアさんもあんまりシオンにそういうこと言っちゃだめ! 砕けちゃうから!」

「いやあ、反応が面白くてつい……」

「も、もう!」

 姦しい彼女たちを見つめながら、否、クロナの姿を見つめながら、ボリスは頬杖をつく。やがて重みに任せてズルズルと頭は腕を滑り、終いには机に突っ伏す。

「なんとかしないと……」

 場にそぐわぬ明度で呟いた言葉は誰の耳にも届くことはなく、ただ、噛み合わず虚しく空回りする歯車だけが、彼を代弁するのだった。