悪食の白雪姫

-begone days-

 誰にも悲劇としか言いようのない事故の最後の被害者が、今朝、遺体となって病院から搬送された。
 しんと静まり返った病室に残された遺族は、誰一人として声を上げることなく、ただ苦虫を噛み潰したような顔で俯いていた。

 雪山での大規模な旅客機墜落事故は、墜落した時点で多くの人々が命を落としたとされている。乗客は乗組員を含め三九四名、うち救助隊により救出されたのは、たった二名だけであった。
 ともに重度の低体温となり危険な状態にあったが、奇跡的に命は助かり、搬送された市内の病院にて治療を受けていた。
 被害者の片方は男性で、こちらは比較的安定した状態で話が出来たのだという。しかし雪山でなにが起きたのか、それだけは頑なに答えようとしなかった。
 もう片方は若い女性で、こちらは随分と精神状態が不安定になっていた。暴れだすということはなかったが、一切食事を取ろうとせず、衰弱の一途をたどっていた。
 その様子を聞いた男性は、しばし俯き、緩く首をふった。そして、とても小さく弱い声で、少しだけ口を開いた。

(誰も悪くはない。生きていた者は皆そうした。運がいいのか悪いのか、ただ、我々だけが生き残ってしまっただけなのだ。どうか、彼女を責めないでいただきたい。彼女こそ、本人の意思ではなかったのだ。彼女は――彼女は、被害者だ)

 何度かそのようなことを呟いた数日後、彼は多くの監視の目を掻い潜り、病院の屋上から飛び降りた。
 もう一人の被害者である女性も、その頃にはすでに立ち上がる体力も残っておらず、しかしずっと何かを呟いていた。医師によると、おそらくそれは謝罪ではないか、ということだった。

 吹雪によって停滞していた墜落事故の調査はその後は難なく進み、すぐに原因は発覚した。そして、事故発生から生存者が救出されるまでの間、なにがあったのかということも、比較的容易に判明した。しかしそれは、記事の一面に掲載するにはあまりに非人道的なものであり――結局世間には、当り障りのない墜落事故として発表された。真相は遺族にさえも語られず、多くの関係者は口を閉ざしたまま、次第に人前から姿を消していったのだった。

 

✦ ✦ ✦

 

 頭の中に響く轟音は未だに消えない。けれど、その原因となる記憶は、すでに頭の中からすっぽりと抜け落ちていたのだった。
「ここは、どこだろう……」
 大通りの人混みの中、ロベリアはキョロキョロと辺りを見回しては、首を傾げていた。
 おおよそ見覚えのない、アンティークな作りの建造物群。煌煌と輝く、色とりどりの宝石。大きな時計台、そして遥か向こうに見える、巨大な時計塔。
 お伽話にでも出てきそうなその光景に、どこか夢の様な感覚を覚え、ふらふらと揺れていた。
 気が付くと、ロベリアの隣にはもう一人少女が立っていた。声をかけられているようだが、如何せん、轟音が邪魔をして、なにも聞こえない。
「――……、  ……? ――――」
「なあに?」
「……  。   ……、――?」
「ううん……」
 数回少女は何かを話しかけていたが、困ったような表情を浮かべ、今度は持っていた懐中時計に向かって喋り始めた。
 話が終わったのか、少女は小さな紙に何かを書いて、こちらに向ける。

〝読めますか?〟

 ロベリアが頷いたのを確認すると、少女はもう一つ文章を足した。
〝耳が聞こえないの?〟
 少し悩んでから、ロベリアは少女にペンを借り、紙の端に丸い文字で書き込む。
〝何か大きな音が邪魔をして、周りの音が聞こえないみたい〟
 少女は紙を受け取ると、うんうんと頷き、紙を再度ロベリアへ返すとともに、手を差し伸べてきた。
〝その症状を治せる人がいるから、その人のところまで一緒に行きましょう〟
 ロベリアはちらりと少女の顔を見る。怪しい雰囲気はこれっぽっちもないので、彼女はそのまま少女についていくことにした。
 少女の手を握ると、人の体温よりも遥かに熱く思え、一瞬手を離す。すると少女は片方の手にハンカチを巻きつけ、その手を反対の手で指差した。
 ――もしかして、素手で手をつなぐのが嫌なんだって思われちゃったかな……。
 申し訳ない気持ちになりながらも、もう一度手を握ると今度はそれほど熱くはなかったので、心のなかで謝りながら、ぽてぽてと歩いた。

 少女に連れられ辿り着いたのは、先程大通りから眺めていた時計塔、その最上階だった。
 薄暗い廊下の先には大きな扉が見える。そのすぐ前まで進むと、少女は扉の奥へと呼びかけたようで、重そうなそれはすぐに開いた。
 中に入ると、髪の長い青年が、懐中時計に何か細工をしているところだった。すぐそばには大きな耳の小さな動物が、歯車や螺子といった部品を道具箱から選別し、青年に手渡している。
「わあ」
 動物が人間と言葉を交わしているだろう光景に感動の声をあげると、作業をしている青年が薄っぺらい紙をこちらへ向ける。
〝もう少しだけ待ってね〟
 ロベリアは笑顔で頷くと、しばらく異種族の共同作業を楽しそうに眺めていたのだった。
 やがて小動物が道具箱を持って去ってゆき、青年も何かを確かめるようにいろんな角度から懐中時計を眺めると、椅子から立ち上がりこちらへ歩み寄ってくる。
〝これを耳に当てて、ゆっくり深呼吸をしてごらん〟
 そう書かれたメモと共に美しい装飾が施された懐中時計を手渡され、ロベリアは懐中時計と少女、そして青年の顔を順番に見る。すると少女は、自身が所持している懐中時計の蓋を開き、こうするのだと手本を見せる。それに倣い、ロベリアも同じように蓋を開け、耳を当てる。
 最初はなにも聞こえなかったが、次第に轟音が小さくなっていくことがわかる。そのうちに歯車が回る音が聞こえ、そして、針の音が。
 tick...tack...
 tick...tack...
 tick...tack...
「大丈夫? 聞こえるかしら……?」
 少女の可愛らしい声が鼓膜を揺さぶる時には、すでに轟音は聞こえなくなっており、ちょうど時計塔が鳴らした三時の鐘の音が響いていた。
「ありがとう! もうちゃんと聞こえるよ~!」
「ああ、よかった!」
 自分のことのように喜ぶ少女を見て、ロベリアは先程の無礼を思い出し唐突に頭を下げる。
「そうだ! ごめんね!」
「な、なあに? 謝られるようなことは、なにも……なかったと思うのだけれど」
「さっきロベリアさん……あっ、私ロベリアって言うんだけども、あなたの手を掴まなかったでしょ?」
「そのことね。大丈夫、わたし気にしていないわ」
 緩く手を振られ、ロベリアは大げさに身体ごと首を振る。
「違うの違うの! 多分そのまま手を繋ぐのが嫌だったんだって誤解してそうだから! あのね、なんかね、変だったんだよぉ!」
「……? 変? わたしが?」
「んもぉ! 違うの違うのー!」
 ロベリアがうまく伝えられずに地団駄を踏みながらくるくる回っている姿を見て、青年と少女は顔を見合わせた。
「とりあえず……状況を整理する必要がありそうだね?」
「ええ、わたしもそう思うわ……」
 少女はロベリアが一周してくると、まあまあ、と落ち着かせるしぐさをし、被っていた帽子をとった。
「ロベリアさん、ひとまず落ち着ける場所でゆっくりお話ししましょう。この世界の説明も、まだきちんとできていないのだし」
「! それならロベリアさん、なにか食べたいです! お腹が空きました!」
 元気よく挙げられた手にぽかんとした少女だったが、くすくすと笑って手を合わせた。
「そうね、じゃあ……お料理も出してくれる喫茶店にいきましょうか。ボリスも一緒に来てくれる?」
「そうだね、たまには息抜きでもしようかな」
「机の上、きちんと片付けないとまたノーレッドさんを事故に巻き込んじゃうわよ」
「……はーい」
 少女に窘められ、青年はシュンと頭を下げたまま机の上を片付け始める。しっかり作業に入った事を確認すると、少女はロベリアに向き直り、小さくお辞儀をした。
「ロベリアさん、自己紹介がまだだったから。わたしはクロナ・エペ・トランジーヤ。そしてあちらはボリス・ガーランド。彼はこの街の管理をしている人で、みんなからはメイヤーと呼ばれたりしているけれど……本人はなんでもいいと言っていたから、呼びやすいように呼ぶといいと思うわ」
「おーけー! ……え、あの人管理職なんだ? あれで? すんごい頼りなさそうだけど大丈夫なのかな」
「んん……まあ、ええ……みんなそう言うわ」
 言い返せず咳払いをするクロナを見て余計な事を察したのか、ロベリアは少しにったり笑ったが、あえて何も言わずに心のなかで大はしゃぎする。
「? ど、どうしたの」
「なーんでもないよー! じゃあじゃあ、あなたのことはクロナちゃんって呼ぶね! 私のことは親しみを込めて、ロベリアお姉ちゃんとでも! ほら復唱! ロベリアお姉ちゃーん!」
 期待を込めた眼差しで見つめられ、クロナは恥ずかしそうにしながらも律儀に復唱する。
「ろ、ロベリア……お姉ちゃーん。……あっ、ごめんなさい、年上だったのね」
「体感的に高確率でそうだと思うけど、万が一ロベリアさんが歳下であった場合でも、美少女からお姉ちゃんと呼ばれる喜びには一切影響しないのだ」
「そ、そう……? よくわからないけれど……」
 謎の持論を展開するロベリアにたじろいでいると、片付けが終わったのか、ボリスが上着を羽織ってクロナたちの方へ歩み寄ってきた。
「よし、じゃあいこうか。……ってあれ、どうしたんだい」
「いえい! クロナちゃんから紹介してもらってたんだ~、よろしくねメイヤー!」
「? うん、よろしく」
 常にテンションの高いロベリアだが、マイペースを地で行くボリスはさほど振り回される様子もなく、部屋の扉の前に立って魔法陣を出現させる。
「さあ、この上に立って。一瞬で移動できるから」
「うわお……クロナちゃんとはやり方違うんだね?」
「わたしは懐中時計を介して、時計塔から力を借りているに過ぎないの。ボリスは管理者という立場だけあって、そのまま力が使えるから。懐中時計は必要ないの」
 疑ってすみませんでしたとへこへこと頭を下げるロベリアが陣の中に入ると、一瞬のうちにクロナの言う喫茶店のすぐ近くへと移動していた。
「ロベリアさんもこういうのほしい」
「クロナと同じのをあげるよ。その話を、これからするからね」
 ボリスはとりあえず店の中へ入ると、水を注いだ三人分のグラスを持って、奥の方の席へと移動する。
「適当に食べたいもの注文していいよ。僕デラックスパフェ」
「お言葉に甘えて~ロベリアさんは~ドリアでも頼もうかな~」
「わたしは、じゃあミックスジュースで……」
 各々食事を注文すると、ボリスは早速本題に入ろうと口を開く。
「さて、まずは何から話そうか……。そうだロベリア、君、ここに来る前の記憶はあるのかい?」
「それがねーないんだよねー。気がついたら大通りでふらふらしてて、クロナちゃんに時計塔につれてってもらったんだー」
「あまりにも順応性が高いようだから、そうじゃないかとは思ったけどね。じゃあ、まずは君が今どのような状況にあるかという話をしよう。……ではクロナ先生よろしくお願いします」
 ボリスが話をするものだとすっかり思い込んでいたクロナは、驚いて裏返った声を出す。
「ええっ! ど、どうしてわたしにふるの!」
「僕がこういうの無頓着なのは君が一番知ってるじゃないか! 円滑に話をすすめるためにもどうか! どうか!」
「……ううん、じ、じゃあ……やるだけやってみるけれど……」
 クロナは大きく深呼吸をし、気休めに懐中時計を握りしめながら、ロベリアの方を向く。
「ええと……この世界はね、命が始まり、そして終わり、そしてまた命が始まるサイクルを正しく保つために存在する世界なの。輪廻と言えばわかってもらえるかしら、その――」
「つまり! ロベリアさんは死んでいる!」
「――……そ、そう……そういうこと……なの」
 クロナが彼女を傷つけないように、丁寧に、わかりやすく、と言葉選びにまごついていると、早々と結論に辿り着いたロベリアがポーズを決めながらはっきりと言ったため、クロナはがっくりと肩を落とす。
「んん……辛くないの……?」
「うーん、ロベリアさんは強靭な精神の持ち主だからね~。それにどうあがいても事実は変わらないんだから、スパッと言っちゃったほうが気を使うよかいいかもしれないよ?」
「ふむ、なるほど」
 ロベリアの意見に感心するボリスに、彼女はじっとりとした視線を向ける。
「なるほどってメイヤー……キミね。というかこの世界が死後の世界……でいいんだよね? まあそういうんなら、ここにいる人達分、そんな話をしてきたんじゃないの?」
「いや、そうでもないんだ。むしろほとんどの魂は、自身が死んだことも知らずにまた生まれ変わっていくからね。僕らが直接こうやって話をするのは、特殊な魂――つまり、現世からいろいろよくないものを、自分の意思でないにしろ引っ張ってきてしまった魂だからなんだよ」
「おお、突然饒舌になったね」
「生死以上に扱いにくい事柄はないからね……」
 ボリスがすっと目を逸らすと、ちょうど店員が料理を運んで来るところだった。
「まあ、続きは食べてからにしようか」
 もしや喫茶店に来るのを一番楽しみにしていたのはボリスなのではないかと思うほどうきうきとしながらパフェを受け取ると、彼は最初の一口を至福の表情で味わう。
「まずはクロナちゃんに一口あげるんだとばかり思ってたよ!」
「いけないかい、男が甘いもの好きじゃ。あとクロナは冷たいものがあんまり得意じゃないんだよ」
「ぐぬう。そういうことなら仕方あるまい……」
「ボリスね、その代わりにいつも――ほら、いちごをくれるのよ」
 ロベリアが唸っている間にも取り皿にもりもりと積まれていくいちごを見ながら、クロナは苦笑した。
「クロナはいちごが好きだからね」
「だからって穿り出さなくても……男の人ってほんと一辺倒だよねぇ」
「男の人全員がそうというわけではないと思……あっ、違うのよ、ボリスをそうだといったのではなくてね」
 二人の言葉に落ち込みかけるのをぐっと堪えるボリスとそれをなだめるクロナを余所目に、ロベリアは運ばれてきた出来立てのドリアをスプーンで掬い、口をつける。
「いっただっきま~――……っつ!」
 が、すぐにスプーンを離し、口元を押さえた。
「だ、大丈夫ロベリアさん……! 火傷かしら、お水を……」
 クロナがグラスを手渡そうとするが、ロベリアは顔を蒼くしたまま動かない。
「……? ロベリアさん……?」
「気のせいじゃなかった……やっぱり、変だ。ねえクロナちゃん、鏡とか持ってる?」
「ああ、それなら僕が。はい」
 ボリスから鏡を受け取り、ロベリアは後ろを向いてこっそりと自身の口内を覗く。一つ小さく「うっ」と呻くと、緩慢な動作で鏡を折りたたみ、神妙な表情でボリスへと返却する。
「どうなってた?」
「ぐろい。なんか焼けたみたいになってる……」
 クロナが衝撃を受けないように、ロベリアはボリスへ耳打ちする。
「さっきも、クロナちゃんに手を引かれた時、なんだか熱く感じたんだよ。気のせいかとも思ったんだけど、これは……なんか、違うよねぇ……」
「ふむ……。ちょっと実験してみようか。クロナ、ちょっと懐中時計、貸してくれるかい」
 ボリスに言われ、クロナは自身の所有する懐中時計を取り出す。が、すぐに疑問の声をあげる。
「ええ。……? ボリスはこれなしでも大丈夫なはずよね……?」
「女性の頬やら耳に、無造作に手をやるのは――なんかこう。それに加えてあらぬ誤解を与えそうな気がする」
「わたしのことはすぐに抱きしめるくせに」
 そう言って頬をふくらませつつも、しっかりとロベリアに懐中時計を手渡す。そのまま不貞腐れたようにミックスジュースを啜り始める彼女の姿を眺めながら、ロベリアは受け取った懐中時計の蓋を開けようと竜頭を押してみる。しかし蓋が開く気配はない。
「ああごめん、蓋は開かないんだ」
「? なんで?」
「懐中時計はその所有者にしか使えないオーダーメイドだからさ。この懐中時計なら、クロナが手にとって初めて時計塔と繋がるんだ」
「へえ~。……って、じゃあこれ、ロベリアさんが持ってもただの文鎮なんじゃ」
 ロベリアが当然の疑問を口にすると、ボリスは「まあね」と頷く。
「でも、時計塔から借りる力の他にも、各々懐中時計そのものが持っている力というものもあってね。で、そのための僕。製作者である僕がその力を少し制御すれば――」
 ボリスはロベリアが手に持ったままの懐中時計の縁に指を滑らせる。
「これでよし。試しに、さっきみたいにしてごらん。心を落ち着けて、針の音に耳を傾けて」
 言われるがままに懐中時計を耳元に当てると、秒針の音が聞こえてくる。不思議と近くも遠くもない場所でなっているようなその音は、徐々に心の中に染み入ってくる。それに連なり、だんだんと舌先の痛みも和らいでいくような気がした。
「もういいよ、ロベリア」
 声をかけられ懐中時計から耳を離すと、痛みは完全に消えていた。もう一度鏡で確認するも、焼け爛れた痕跡はすっかりなくなっていたのだった。
「おお……ありがとメイヤー、クロナちゃん! クロナちゃんの懐中時計には治癒能力があるんだ!?」
 懐中時計を返しながら聞くと、クロナは苦笑した。
「いいえ、この子は――この子の場合は、なぜだか魂を引き付けてしまうの。だから、あんまりわたし以外がこの子に触れないほうがいいみたい」
「そうなんだ?」
「力なんて使いようだよ。クロナは懐中時計のおかげで、人よりも依頼人が探しやすい。それに今彼女を救ったじゃないか」
「そうそう、そうだよクロナちゃん。ロベリアさんは、クロナちゃんにありがとうなんだよ~!」
 むにむにと笑うロベリアにクロナも礼を返すと、ボリスに向き直る。
「それで……ロベリアさんがよくなったのはいいのだけれど、結局どういうことなの……?」
「クロナの懐中時計の力の方向を少し変えて、ロベリア自身の身体に眠っている記憶をちょっと、ね。この処置が正しかったということは、やっぱり彼女の生前の記憶による症状だろうね」
「メイヤー……ロベリアさんの身体に一体何を」
「火が関係するのか、それとも逆かな」
「無視~!?」
 横からちゃちゃを入れてくるロベリアをあしらいながら、二人は真剣な顔で話を進める。
「どちらにせよ、真実を知っているのは時計塔のみ、か……困ったね。おそらく、因果をすべて断ち切れば症状はなくなるだろうけど、それまでずっとこの調子と言うのはさすがに辛いだろうな」
「そうね……どうしたって無理なのかしら……」
 クロナがちらりとロベリアを見ると、またむにーっと笑って見せたので、機嫌を損ねてはいないようだ。
 ボリスは眉間を抑えながら唸るも、どうにも良い案が浮かばないのか、ぬるくなったパフェをまた口に入れ始める。
「時計塔の総意なのかなぁ……」
「ロベリアさん、わたしたちがさっきまでいた時計塔はね、魂がゆっくりと休息できるように、辛い記憶や悲しい記憶を一時的に預かってくれているの。でも、完全にとはいかないみたい」
「これは推測だけど、すべて取り除くと何かしら支障が出るんだろうね……。なんでもかんでもなくせばいいわけではないということさ。すぐには解決策は見つからないだろうけど、手は尽くしてみるよ」
「ありがとねメイヤー、クロナちゃん。ロベリアさんのために頑張ってくれて」
 わざとらしく目をうるませ礼を言うと、すぐにロベリアは自分の目の前にあるドリアに視線を落とす。
「ねえ二人とも、これもうすっかり冷めちゃったんだけど、今の温度ならロベリアさんにも食べられるかなぁ?」
「え、食べるのそれ。他のものを注文しても構わないんだよ……?」
「大丈夫、ロベリアさんは冷えたご飯にホージチャをかけてそのまま食べる種族のお姉ちゃんだから」
「つ、強い……」
 慎重に料理の状態を確かめ、それが適当な温度――冷えきっていると言えなくもない――だと判断したロベリアは、二人の驚きの視線などこれっぽっちも気にせずに、幸せそうにはぐはぐとドリアを食べ始める。
「彼女が物事を深刻に考えないタイプで、まあ良かったよ……」
「そうね。あとはコトノハになることを受け入れてくれたら、丸く収まるのだけれど」
「やるよ?」
 ドリアに夢中になっていたはずのロベリアが軽く答える。
「そんな、まだ内容もなにも伝えていないのに……」
「んーん、ロベリアさんお察し良いから。因果を断ち切るとか、魂の休息がどうのとか、二人が真剣に話してるとこ聞いてると、そのためになんかやらなきゃいけないってことくらいはわかるよぉ」
 そこまで離すと、ロベリアはまたドリアを頬張る。
「はーおいしい。でもなんか……まあいっか」
「いいなぁ……僕も高い順応性を持って生まれたかった」
 心底羨ましそうな声で言い、ボリスも残りのパフェを口を運ぶ。そしてクロナもまた、氷が溶けて薄くなってしまったミックスジュースを飲み干すのだった。

 

 三日後、宣言通りコトノハの制服に腕を通したロベリアは、時計塔にてその証となる懐中時計を受け取るべく、時計塔を登っていた。本来ならば、ボリスやコトノハが最上階までの道を開いてやるのだが――なんとロベリアは、自らこの時計塔を登ると言い出したのだった。
 最上階に懐中時計を使用せず到達するには、どれだけ急いでも一時間以上はかかる。その上、高所であってもむき出しの梯子が設置されているだけの場所もあるため、クロナはやんわりと止めたのだが、体力には自信があるのだというロベリアにとうとう言いくるめられてしまった。
 そのため、クロナとボリスは最上階で彼女を待つことにした。
 気が気でないのか、落ち着きなくウロウロと動きまわるクロナをときどき盗み見ながら、ボリスはじきにロベリアの物となる懐中時計の最終テストを繰り返していた。
 ボリスの作業がもうじき終了する頃合いになって、クロナは部屋の扉の向こう、廊下の奥から、重い足音が近づいている事に気づいた。
 すぐに、用意していたタオルを持って扉をあける。すると、廊下を歩いていたのはロベリアではなく、普段あまりこの場所に姿を現さないはずのシオンだった。彼女はなにか大きな荷物を抱えながら、扉の前まで歩いてくる。
「し、シオン!? どうしたの、そんなに息を切らして……!」
 まるで全力疾走したあとかのように汗をかき、肩で息をしているシオン。その姿をみて、クロナは持っていたタオルで彼女の汗を拭ってやる。
「ありがと、クロナ……ちょっと、急ぎ、伝えたいこと、二人に、あって……げほ」
「だ、大丈夫……?」
「だいじょ、うぶ……引きこもりが……走るもんじゃ、ない……わね」
 今にも座り込んでしまいそうな彼女に近くにある椅子を持ってこようとするクロナを、シオンは辛うじてあげることができた右手で制する。
 せめて、と背中をさすってやると、次第に息が整ってきた様子で、シオンはゆっくりと姿勢を正した。
 が、すぐにクロナに噛みつかんばかりの勢いで近づき、叫ぶ。
「い、今から私酷いこと言うかもしれないんだけど、決して悪口が言いたい訳でもあの子を敵に回したいわけでもないから絶対誤解しないでね!? 言うか言うまいかものすごく悩んだんだけど、隠しとくのも嫌で嫌で……ああああ、印象を悪い方に固定しようとか、そういうのは……!!」
「だ、大丈夫よ、予防線を張らなくても、あなたのこと嫌な子だなんて思わないから……」
「……」
 クロナの言葉に一瞬唇を噛み締めたシオンだったが、彼女の言葉を信じ、何かを二人に見えるように差し出す。先程クロナはうろたえていて気付かなかったが、彼女が持っていたのは、いくつかの花だった。
「これ……私があの子……新しくコトノハになる子を対象にして咲かせた花なんだけど。……あっ、た、ただの気まぐれよ!? 何かを怪しんだとかそういうんじゃ……ただ、先に雰囲気くらい掴んでたら、話しやすいかと思って」
 シオンは言いにくそうに口を開くが、彼女としばらく一緒に仕事をしているクロナには、彼女が初対面の相手に会う前はまず花を咲かせてみる、という段取りを踏むことがわかっているので、花を咲かせた理由について言及することはない。シオンは対象を頭に思い描くことで、その魂に最も近い花言葉を冠した花を咲かせる事ができる。彼女のコトノハとしての仕事はその花を旅立つ魂へ贈ることなのだが、普段も適当な人物を思い浮かべては、庭に花を増やしている。
「新しいコトノハ……ロベリアさんのことよね。その花に何かあるの?」
「あ、あのね……いくつか違う花が咲いて、それぞれに意味も違ったんだけど。共通するニュアンスのものが、いくつかあって」
 これ、とシオンは大きな荷物――すなわち、図鑑である――を持ち上げ、ページを捲る。ページごとに彼女が指し示す先には、確かに同じような意味を持つ言葉が書かれている。
「注意……危険……犠牲……。つまり、ロベリアさんが危ないっていいたいの?」
「ち、違う! ……いや、違わないわよね……。こんなものには諸説あるんだから、私も考えすぎだとは思ってる……! でも、なんというか、どうしても、っていうか」
「……え、ええと……言いたいことはわかるわ、それにあなたが何を伝えたいのかも……その」
 うまく言えず、クロナとシオンは俯いてしまう。その無音を埋めるように、拡大鏡を覗き込んだままのボリスが落ち着いた声で言う。
「シオンは魔法の結果を提示し、クロナは提示された結果に質問した。それだけだよ。気まずくなることはないんじゃないかな」
「え、ええ……そう、そうね……」
「本当にその、悪気があってのことじゃないから。こういう結果があったということを……伝えたかっただけ」
 二人が言葉を取り戻すと、ボリスはまた静かに作業を再開する。
「もし、もしも万が一あの子の様子がおかしくなったら、本当にその時だけでいいから、気をつけて」
「ええ、ありがとう」
「ついでにボリスも」
「……ありがとう」
 あまり心配していなさそうな声で付け加えられ、ボリスは悲しみにゆっくりと浸りながらも、ロベリアの懐中時計を完成させた。

 

 地上ではほんのそよ風にしか感じないものでも、高所となれば、それは容易く命を奪う牙になる。その事を、ロベリアはひしひしと感じていた。時計塔を登り始めて、およそ一時間。クロナの言うとおりであれば、まもなく最上階へ足を踏み入れることが出来るだろう。
 しかし、やはり体力にいくら自信があると言っても、上限はある。頂上を目の前にして休憩するのは些か癪だが、これ以上無理をすれば足を踏み外しかねない。ロベリアは梯子の途中に、普段点検などで使われているだろう通路を見つけると、ひとまずそこで息を整える。
 ――おかしい。
 ロベリアが自ら塔を登ると言い出したのは、なにも自身の体力がどこまで持つかを試したかったわけではない。
 ――おかしい。
 ただひとつの疑問を、解消したかっただけなのだ。

 ――こんなに動いてるのに、少しも汗が出ない。その上、身体が全く温まらない。
 ――なんだろう。まるで、とても寒い場所にいるみたいだ……。寒い場所ってどこ? 冷凍庫? 冬の海? それとも――

「いたっ」
 寒い場所。それについて連想しようとしたその時、頭に酷い痛みが走る。くらくらと目の前が歪むような衝撃に、ロベリアは確信した。
「……そっか。思い出すな、ってことなんだね」
 上を向きながら囁くと、まるで返事をするかのように、時計塔が鐘を鳴らす。
「じゃあ、そうするよ。なんだか、色んな物が壊れそうな気がするしね。まあ、キミが預かってくれるほど嫌な記憶なんだろうから」
 ロベリアは一旦言葉を切ると、溜息とともに、言葉を吐き出した。
「私が還る日を――待ってて」

 

 最上階へ辿り着いたロベリアが一直線にボリスの部屋へ向かうと、そこにはボリス、クロナの他にもう一人、彼女には見覚えのない少女――シオンがいた。
「あらら、皆様お揃いで? なんかお話ししてた? 入ってもだいじょーぶ?」
「ロベリアさん! 大丈夫よ、みんなであなたのことを待っていたの。はい、タオル――って、あら……」
 タオルを手渡そうとして、彼女が一切汗をかいていないことに気付き、クロナは不思議そうな声を出す。
「んーん、ありがとクロナちゃん! でも大丈夫だよ~! やっぱりロベリアさんも乙女だから疲れちゃって、色んなとこで休憩したから!」
「そう……? なら、いいのだけれど」
 彼女の言葉を素直に受け取ったクロナは、それ以上はなにも言わずに、通行の邪魔にならぬよう右に退く。
「ごめんねメイヤー、遅くなっちゃったねぇ」
「構わないよ。無事でよかった」
「やだぁ心配してくれてたんだ!? ロベリアさんうれし~、好きになっちゃいそうだよぉ~!」
「さて、これが君が持つ懐中時計なんだけど」
「ハイ」
 ボリスは化粧箱から懐中時計を取り出すと、完全に言葉を流され渋い顔をしているロベリアに差し出した。するとすぐに機嫌を直したロベリアは嬉しそうにそれを受け取ると、チェーンを手に巻きつけ間近で観察する。
「うわあ、これ本当にキミが作ったの? すごいねぇ~器用だね~! どうやって使うの?」
 竜頭を押さえて何度も蓋の開閉を繰り返しつつ問うと、ボリスはうーんと唸った。
「使い方は……クロナかシオンに聞いてくれるかい。僕じゃ、ちょっと説明しにくくてね」
「えー、なんでぇ」
「なんというか、懐中時計は感覚で覚えてもらうしかなくて……ほら、僕は普段懐中時計を使わないから。よく使っている二人のほうが、うまく説明出来ると思うんだけど」
「ああ、なんかそういえばメイヤーはそのまま力使えるんだっけ。それなら仕方ないよねぇ……じゃあシオンちゃん、教えて!」
 そう言ってロベリアは、クロナではなく壁にもたれてムッスリとしているシオンに声をかける。クロナの方へいくのかと思っていた、どころではなくすでに話さえ聞いていなかったシオンは、突然の指名に大きく姿勢を崩す。
「ん!? な、なにが私? え? なに?」
「懐中時計の使い方おせーて! シオンちゃん!」
「……なんで私……?」
 助けを求めるようにクロナに視線を向けると、さあ、というように小首を傾げられる。するとロベリアがなぜか大きな一歩で急接近してきたので、シオンは驚いて仰け反った。
「ヒッ!!」
「ヒッてなんだよぅ! 寂しそうにしてるから声かけたのにぃ」
「よ、余計なお世話よ! ああ、変な汗出てくるったら……!」
 小走りでボリスの机の側面に隠れるシオン。
「ごめんなさいロベリアさん、どうか気を悪くしないでね。……あの子、ちょっと人と関わるのが苦手なところがあって」
「ぶーぶー、避けられてロベリアさんはすごくショックうけちゃったよ~! クロナちゃーん!」
 ロベリアが当て付けにクロナに抱きつくと、机の影からチラチラとこちらを見ていたシオンが大声を上げて立ち上がる。
「ああああ――――!!」
 その反応に気を良くしたのか、ロベリアはうふうふと笑いながらクロナに纏わりつき、そのうち堪えきれなくなったシオンが彼女を追いかけ回すという事態にまで発展していた。
 彼女達が大人しくなるまで、と書類を眺めていたボリスは、いつまでも終わる気配のない彼女たちのやり取りに、のんびりと呟く。
「やれやれ、これから賑やかになるな」
 ボリスは少々早めに鐘を鳴らすよう時計塔に訴えかけると、時計塔はすぐに応じ、天辺の鐘を作動させた。その音に、少女たちはぱっと顔を上に向ける。
「お嬢さん方、十二時だよ。時計塔もさっさと休めとさ。僕は昼食をとりにいくけど――」
「ロベリアさんもいく~。シオンが追っかけまわしてくるからお腹すいたー!」
 悪びれる様子もなくボリスについて行こうとするロベリアに、シオンは後ろからぎゃんぎゃんと吠え立てる。
「あっ……あんたが余計なことするからじゃない!」
「知らないもーん、クロナちゃんはシオンだけのものじゃないもーん」
「うぐっ……」
「ま、まあまあ……ご飯食べて、いったん落ち着きましょう。ね?」
 クロナにそう言われ、シオンはしぶしぶ溜飲を下げる。
 行き先が決まり、ボリスが出現させた魔法陣へ全員が入ると、彼らの姿は部屋から一瞬にして消え――刹那誰かが呟いた言葉だけが、部屋の中へ残されたのだった。
「最近食べた一番美味しかったもの……一体、何だったっけ?」