Story after the end black 3

「……以上が、ディールさんにお伝えしたことを含め、すべてのお話しすべき事情です」

 欠けていたピースが揃い、クラッドの願いも把握できた霜子には、もはや隠すべきこともそうすべき事情もなくなった。言えずに黙っていたことも含めた情報を開示し、説明を施す。

 彼女をただの煩わしいだけの少女だと決めつけていたクラッドは、彼女の行動のほとんどが自分のためだったことを知り、苦い顔を隠せずにいる。謝ろうにも霜子はそんなことは取るに足りないことだと、むしろ私こそ許可無く記憶を読んだりしているのだからと、その件についての発言すら許さないのだった。

「で、なんとかなりそうなの?」

「……なんとか、してみせますとも」

「あんまり根を詰めるなんてしなくていいよ。できればいいな、くらいの気持ちでいってもらわないとね」

 その言葉に苛ついたディールは、ヘラヘラと笑うクラッドの頭を一発叩く。

「痛ッ!」

「お前、涙流してまで心配してくれた子に言う台詞じゃないぞ、それは」

「これは俺のさがなのでどうか許してほしい」

「無理です」

 ぐいぐいとクラッドの頭を押し、下げさせているディールの表情にも、些か暗い影が落ちているようだった。霜子は何事かを察したが、今はあえて口を突っ込まないことにする。

「ああ、でもね霜子ちゃん」

「はい」

「俺の願い事、ディールにだけは内緒にしといてね」

 頭を押さえつける彼の手を掴み、クラッドは微笑んだ。当然ディールは不満の声を上げる。

「なんでだ」

「面倒くさいことになりそうなんだもん。ディールに言わなくたって、つつがなくコトは進むでしょ?」

 今度はむいむいと頬を抓られながら、クラッドは問う。

「確かに、進むは進むと思いますけども……」

「じゃあ頼むよ、一生のお願い!」

「もう一生は終わっていますけどね!」

「ここでそれ言っちゃう?」

 あまり納得はしていない様子の霜子であったが、彼の言うとおり、ディールに彼の願いを伝えてもあまり意味が無い上に、かえって気を揉んでしまうかと思うと、頷かざるを得なかった。

「わかりました……でも、もし伝える必要が出てきたときには、ディールさんにもお伝えしますからね」

 霜子は内心、ゼロになった秘密事がまた一つ増えてしまったと残念に思ったが、何にしろ救済対象の願いなのである。ここは自身の微妙な感情は仕舞っておくとする。

「絶対にクラッドさんの魂を消させたりはしません。だから、頼りないかもしれないけれど、私を信じて待っていてくださいね」

 大船に乗ったつもりで、と普段の霜子なら言ってのけたであろうが、やはりそれだけの自信はまだ彼女にはなかった。しかし二人は、そんな霜子の不安を和らげるように笑うのだった。

「それでは、私が決定的な何かを引っ掴んでくるまでは、自由に待機していてくださいね」

「はいはい、そうさせてもらうよ」

「よろしくお願いします」

 そう言って手を振る二人に背を向けた霜子だったが、再度こちらに向き直った。

「クラッドさん!」

「ん? なに」

「好きって言ってもいいんですからね!」

「!?」

 余計に一言言い残すと、彼女は可憐にお辞儀をして部屋から立ち去った。あとに残されたのは、とんでもない言葉を聞かされたクラッドと、大して気にしていなさそうなディールであった。

 ――そういえば願いの口止めはしたけど、それ以外については何も言わなかったっけな。

 至極おかしな表情のまま固まっているクラッドに、ディールは軽く声をかける。

「言ってみれば?」

「あ?」

「……すっきりするかもしれないぞ」

 いまだクラッドの内に潜むわだかまりに気付いているのか、ディールの声はこころなしか優しいものだった。

 クラッドは僅かに表情を変えたが、すぐに眉間にしわを寄せて首を振る。

「勝手に決め付けるのはやめろよな。……反吐が出る」

 出なかった言葉の代わりとでも言うように、クラッドはディールにキスをする。クラッドの口から吐出された言葉の真意を知るディールは、甘んじて彼の行為を受け入れた。

 

 

 

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  次の日から霜子はあまり屋敷内に現れなくなった。朔がサポートとして共に行動しているため、みなそれほど心配はしていないようだ。ただ、調査や偵察に出ていたりと、彼女が戦いやすいように各々働きかけているようだ。

 しかし一人だけ、前の日に溜めた仕事をいつも午前中に一気に片付け、午後には暇を持て余している者がいた。

「ようお二人さん。どうですか夜の生活は」

 それがこの、魔族長ことセルフィ・エル・オルドリージュである。

「君ここのところ顔を合わせると毎回それだね!? 言っとくけどなんもしてねーからな」

 下世話な質問にいい加減うんざりするクラッドだったが、ディールの方はと言うと、何故か毎回面白そうに笑っている。

「えー……なんか面白いことある? これ」

「いや、気にするな」

「なんか腹立つなー……」

 そう言いつつも、二人はセルフィの突っ伏している背の低いテーブルをはさみ、向かいのソファに着席する。意外にも二人一緒に行動することがあまり頻繁ではないクラッドとディールだが、今日は『そういう気分』のようだ。

「というかさ、午後も少しずつ仕事がたまるんなら、それをゆっくり消化するとかないわけ?」

「やだ……だらだらと無駄に時間かけてやるぐらいなら、次の日まとめてやったほうが心的苦痛がすくないし、時間も有意義に使えるだろう」

「その有意義に使うべき時間で人のこといじってりゃ世話ないよ」

「これは俺のれっきとした趣味だからな」

 満面の笑みを湛えてセルフィは答える。付属物のように隣に控えているアトリも今更という顔をしていた。

「まあまあ、この人普段は部屋にこもりっきりなんだよ。ちょうど君たちが来てから急に休みが増えてね、運が悪かったと思って話し相手になってやってよ」

「お前がもっと変な話にも乗ってくれるような性格ならなぁ~」

「俺には到底笑えないような話ばっかり振ってくるからでしょう……」

 セルフィに背中をバシバシと叩かれながら、アトリは力なく苦笑していた。十分に話ができそうな二人ではないかとクラッドは思ったが、古参と新参では話す内容も大分違うのだろう。もしかしたらアトリの言うように、本気で笑えない言葉を容赦なくぶつけるのかもしれない。

「ほらほら、なんか面白い話してお兄さんを楽しませてくれ」

「年下みたいな容姿してよく言うよ……」

「本当はもっと背も高くてかっこいいんだぞ」

「はいはい、散々聞かされたよその話は」

 クラッドは指先でテーブルを弾く。

「アトリ~こいつら俺を蔑ろにする~!」

「俺の気持ちわかりました?」

「えっ……俺って普段こんなにお前のことないがしろにしてる……?」

「やってる本人は気づかないものですよねぇ」

「い、いやだ~アトリ、俺を見捨てるな~」

 至極わざとらしい泣き真似をしてアトリになだめられている魔族長が、すでに数千年生きている『人間』だと考えるたびに頭が痛くなる思いだが、人間の精神はある程度を境に折り返してしまうのだと思えば無理もない。

 アトリの反応の悪さに飽きてしまったのか、セルフィは再びクラッドとディールの方に向き直る。

「まあ冗談はここまでにしておいて。さっきからディールはなに悩んでるんだ?」

 セルフィの言葉にディールに視線を向けると、彼の言うとおりディールは口に手を当て、何事かを考えこんでいるようだった。

「なにって……ううん、いや、さっきあんたが面白い話を、と言ってただろ」

「うそ……考えてくれてたのか……好きになりそう」

 本人にとってはいつもどおりの冗談のつもりだったが、若干二名が冗談ではすまないような視線を送ってきたので、早々に態度を改める。

「なにか思いついたのか?」

「……とくに思いつかなかった」

「まあそんな顔ではあるがね……。なんならお前たちの身の上話でもいいぞ」

 そうセルフィが軽く言ってのけると、ディールはため息をついてみせる。「なら、そうだな」と話し始めてくれることを期待していたセルフィは頭上に疑問符を浮かべた。

「なんでため息つかれた……?」

「いや、休んでるのに仕事しようとしてないか?」

「ああなるほどね。確かにこの人はそういうところがあるよ」

「おい、しまいにゃ泣くぞ。大人げなく」

 何を言われているのかいまいちわからないが、けなされているようでもないため、セルフィは軽く流してしまうことにした。

 その間人に話せる身の上話を思案していたクラッドは、ひらめいたとばかりに声を上げる。

「あ、じゃあこうしよう! なんかもうすでに頭の中見られてるみたいだし、その中からそっちが気になること見つけなよ」

 得意げな笑みを浮かべるクラッドに、セルフィは面白く無いという顔をする。

「……上手いこと揚げ足とったな?」

 つまりは、記憶を覗いて勝手に満足しろ、ということらしい。しかしセルフィは悔しがる素振りもなく言い返す。

「わかった、約束だぞ。聞いたことは答えろよ」

「え、何その顔」

「霜子から聞いてるだろ? 記憶をただ読むだけでは、ほしい情報には手が届かない。本人の証言と記憶の齟齬から真実を探しだすのだ、とね」

「うっわ!」

 セルフィの企みに気がついたクラッドは一気に焦りの表情に変わる。

「サイテーだこいつ! どう答えても墓穴掘るような回答しかできない質問してくる気だ!」

「今なら本心暴き放題」

「限りなく外道だ! ほんとにこれ世界で一番えらい人なの!?」

 とっさにアトリの顔を見ると、その顔にはそのとおりだと書かれているようだった。

「横暴だ……」

 先程からディールに「お前が言うか」という視線を向けられているが、それには気づかないふりをしておく。

 だんだんといたたまれなくなって来たうえ、このまま攻防を続けていても結局自身の無様な敗退に終わりそうな気配を察知し、クラッドは両手を上げた。

「わかったっつーの、まったく……。でも面白い話なんかすぐには思いつかねえんだけど」

「そうか? じゃあ一つ聞きたい事があるんだが……それをかわりに頼んでもいいか」

「……吐露大会にさせるつもりじゃなければいいよ」

 ここに来てようやく真剣な顔をするセルフィに、クラッドは首を縦に振る。

「お前たち二人の記憶の中にいる……赤毛の少女。その娘について、教えてくれ」

 その言い方に、セルフィ以外の三人は頭を抱えた。彼はどうやら、やはり仕事をし始めてしまったようだ。

 彼にはどうでもいいことを考えるゆとりが必要だと常々考えているアトリにとってはあまり喜ばしいことではないが、それが彼の性分なのだ。諦めるほかない。

「いいけど……言っとくけどアリッサのことはあんまりよく知らないよ?」

「! ……まあ、それでもいいさ。これについては本当に、話してくれるだけでも助かるんだよ。今、名前がわかっただけでも大きな収穫だ」

 妙な言い方をするセルフィに、ディールは不穏な空気を感じて身を乗り出す。

「もしかして、アリッサに何かあるのか」

「……そうだな、お前たちは大いに貢献してくれそうだ。心して聞けよ」

 念を押し、セルフィは話し始める。

 とある場所に、どこにもいけずにとどまっている魂があるという。何気なく世界の扉――魂の出入口にあたるものだ――を点検していた霜子が彼女の存在を確認したのは、クラッドとディールの二人がこの世界に辿り着くより少し前のこと。そのまま放置していれば、どこにもゆけぬまま消滅する運命となってしまうために、霜子はまずその魂をこの世界に迎え入れようとしたのである。

 この世界に一人でも彼女のことを知るものがいれば、彼女の魂は形を取り戻すことができる。しかし、何故か彼女を知るものが一人もいないのだ。

 正確にはその存在が最初から他者に認識されていなかったのではなく、かと言って長く迷いすぎたため彼女を知るものがすでに転生を経たあとだというわけでもなく、何者かによって、彼女についての人々の記憶が薄められていたのである。

 まるで霞がかったようにぼんやりとした輪郭は、彼女の存在を確たるものにするには、あまりにも曖昧だ。

 更に霜子が言うには、彼女の罪自体は道を見失うほど重くはないものらしい。それであるにもかかわらず彼女が動けないでいるのには、なにか理由があるのかもしれないと、霜子は考えたようだ。

 そして、この二人がこの世界に現れ、霜子はこの二人の中に、彼女に関する記憶があることを察する。が、いかんせん霞がかかって、その容姿さえも見えないため、彼女について問おうにも問うすべがなく、彼女がどこかへ辿り着く道を歩み始めることを願っていたのだという。

「ん、じゃあなんで今赤毛の少女って」

「いや俺もどうせまた口に出せないで終わるかとおもったんだけどな? 聞いて驚け、お前たちふたりとも、俺が『一つ聞きたいこと』って言った時、このことかなとその娘の事を頭にちらつかせたんだよ」

 それで色を得たのだという。

「こんな都合のいい話があるのかと思うね。当然色を得ても、輪郭は見えてこない。当然お前たちの記憶にも霞はかかってるってのに、まさかそんな状態でもお前たちの口から普通に名前が出てくるとは正直思ってなかったよ。アリッサはお前たちにとって相当重要な役割を持つ人物なのか?」

 彼女の輪郭がだんだん掴めてきたことが嬉しいのか、セルフィは興奮気味に問う。

 そんな彼の視線を受けつつ、二人は沈黙する。

「……どうした?」

「いやあ、まあ、だってねぇ……」

 一呼吸おき、クラッドは彼女の正体を鮮明なものとする言葉を発した。

 

「俺を殺したのは、彼女なんだから」

 

 その言葉を聞いた瞬間、セルフィは勢い良く立ち上がった。その姿を見、アトリはすぐさま部屋から飛び出していった。

「そうか……そうか、なるほど、繋がった。お前がいるから、彼女が入って来られないんだ……!」

 セルフィは慌ててアトリのあとを追おうをするが、すぐに振り向き早口で告げる。

「クラッド、お前の魂の救済がもし成功すれば、アリッサの魂もその方法でおそらく救うことができる。だから、絶対に諦めるなよ! 絶対だぞ!」

 すべてを言い切る前に、その姿は扉の向こうに消えた。

「……そうか。アリッサも死んだのか」

 セルフィが走り去った扉の方を見つめながら、クラッドは呟いた。

「結局なにもしてやれなかったな」

 淡々と話しているようでも、その心には悲しみが滲んでいる。

「そんで今でさえ、彼女の邪魔をしているわけだ」

「……やめろよ」

 ディールは強い口調で続きを遮った。

「今更そんなこと言ったって、もう……終わったことだろう」

 誰が悪いなどと、誰が悪くないなどと、あえて言うまでもない。すべて起こってしまったことなのだから。取り返しのつかないことばかりで、自分たちの世界はできているのだから。

 うまく言葉にできず唇を噛みしめるディールの頭を、クラッドは優しく撫でる。

「わーかってるよ。いっただけ。いってみただけだって。俺は全然なんとも思ってないんだからさ、君がそんな顔するなって。な?」

「……」

「まったく、君ってやつはめんどくさいね」

 ディールは黙ったまま俯いている。何度も優しくその頭を撫でながら、クラッドは可笑しそうに声を上げた。

「そういや、子供の頃もよく、俺が怪我した時なんかに君がえらく動揺したりしてたね。そのたびに、『ああ、なんで俺が慰めてるんだろうな』なんて思ったものだよ」

「それは……」

「君がかわりに泣いてくれてた、ってことになるんだろうね。君もこないだそう言いたかったんだろ?」

 ディールは、クラッドが泣いているところを見たことがなかった。痛みや苦しみに生理的な涙が滲むことはあれど、その瞳から涙がこぼれたことは、一度もない。指を切っても、足を折っても、ヘマをしたと言って苦笑していた。

 そのたびに、他人から心的影響を受けやすい体質のディールは、悲しくてかわりに泣いた。

 痛い、悲しい、つらい。クラッドはたしかにそう感じているようだったが、それが彼の表情に現れることは一切なかったのだ。

「君はどうして、こんなどうしようもないやつに付いててくれるんだろうね。聞いたとして、君にはわからないんだろうけど」

「お前が……そうしてほしいと。言っているような気がしたから」

「君、本当に俺が主体になってるんだね。でも……もうそんなことしなくていい。君はもっと、自分のために涙を流していいんだよ」

 笑ったり、泣いたり、怒ったり。色んな感情を、自分の中から、生むべきなのだと。そう言い、クラッドはディールを抱きすくめる。

「クラッ、ド」

「好きだよ」

「……?」

 ディールは自身の頬に、生暖かい滴が伝うのを感じた。これは一体、どちらの心が流す涙なのだろう。

 クラッドはより一層ディールを抱く腕に力を込め、彼に発言の隙を与えないよう言葉を綴っていく。

「好き。愛してる。あー、だめだ吐きそう。でも今言っとかないと、もうタイミングがないんだよ。ごめん。みんなにからかわれてる間に言っときゃ、もっとスルスルいろんなこと言えたかもしんないのに」

「……」

「こんなにも、苦しくて気が遠くなるくらい想ってるのに、もうだめなんだよなぁ」

「……は」

「ここで、終わりにしようか」

 今までに聞いたことがないほどの諦観を孕んだ声色に、ディールは自身が竦み上がるのを感じた。

「ま、待て。どういうことだ。お前、まさか」

「うん。アリッサにこの場所を譲ろうと思ってね」

 クラッドは本日の夕食のメニューを提案するかのように軽々と答えてみせる。

「俺のせいで彼女がこの世界に来られないとなると、いよいよ事態も秒読みになる。彼女の魂が消える前に俺を救う方法を見つけなきゃいけない。当然、焦りも出てくる。普段見失わないことでも拾いそこねるかもしれない。だけど、俺が消えれば、彼女がこの世界に入れるようになって、タイムリミットは倍以上に増える」

「それはそうかもしれないが、だからといって……」

「それだけじゃない。俺は、君と出会う前から、そして出会ったあとでも、君の知らないところで色々悪いことをしてきたんだよ。正直、俺の罪の重さと比べたら、アリッサの罪なんてほんの角砂糖くらいなもんだよ」

 ――ああ、他人だ。

 ――こいつは今、他人の話をしている。

 寒気を感じるほど、軽々と。彼は自分の魂を、二度と日の目を見ることがない場所へと突き落とそうとしている。

 ディールは眩暈にも似た絶望にこの身がさらされているような気がした。

 どうしてこんな。

「無理だとわかっている魂を救うことに必死になるより、救えるとわかっている魂を優先して救うべきだ、と。これでもしアリッサの魂が先に消えちゃうような事があれば、これほど馬鹿げた話はない。俺は、そう思ってしまうわけです」

 どうしてこんな、どうしようもない。

 どうしようもない人間のそばから、自身は離れられないでいるのだろう。

「――……っ」

 まさかこんな、沢山の人に支援されてなお、己の魂をないがしろにするこんなやつに。アリッサの魂を犠牲にしてまで、どうしてそれでもここにいてほしいと願ってしまうのだろう。

 あまりにも自分勝手な考えに、ディールは一言も言葉を発せなかった。それどころか、息の仕方を忘れてしまったように、呼吸さえもままならない。

「……なんだ。もう、自分の心で泣けるんじゃんか。心配して損した」

「これ、は」

「俺はね、全然悲しくないんだよ。アリッサのために自分のクソみたいな魂が役に立つんだ、両の手を上げて喜んだっていい。だから、その涙は……君のなんだよ、ディール」

 クラッドはディールの前髪をかき上げ、その額に優しく唇をおとす。

「だから、俺の細やかな願いも、これでおしまい」

 そういってもう一度だけディールの髪を撫でると、クラッドはポケットの中から、黒曜石に似た輝きを放つ鉱石を取り出す。

「! お前!」

 それが何なのか、これからクラッドが何をするのかということにディールが気付いた時にはもう遅かった。クラッドは鉱石を彼の胸に押し付け、そのままソファに彼もろとも倒れこむ。

「くそ……!」

 完全に動きを封じられてしまったディールは、それでもそこから抜けだそうと体をよじる。しかし、そうしている間にも、彼の体からは徐々に力が抜けていった。

 ――相反する属性同士は傷つけ合い――

 ――想いが彼の魔素を強く引きつけて――

 霜子の言っていたことを、頭の中で強く反響させる。沈みゆく意識の中で、ディールはただ静かに涙をながす。

 やがて完全に彼が意識を失うと、クラッドは無表情で立ち上がった。闇の魔晶鉱石をテーブルの上に放り投げ、そのままディールに背を向ける。

「じゃあね、ディール。――愛してるよ」

 まったく温度のない声で、そう言い残した。

 

 

 誰にも会わぬよう、影ばかりを通って歩いた。そうすれば自然と、得体のしれないものが寄ってくる。

 自分が街を歩くと、いつもどこかを境に、妙な気配に追いかけられているような感覚に陥っていた。おそらくそれは気のせいではなく、誰かが自分を追い、見えない場所から様子を窺っていたのだ。

 一度それが朔だった事があったが、例外である。彼の気配はこんなにも、禍々しいものではない。

 自身の事を強く恨んでいるようなその視線や気配の正体に、クラッドは薄々気付いていた。

 霜子が前に言っていた。自分が魂の救済を始める前は、罪深い魂は天使によって無慈悲に裁かれていたのだと。

 今まで自分たちに任されていたことが、あろうことか彼らが下に見ていた少女の『趣味』、その後処理となったのだ。それはそれは、恨めしいことだろう。以前であれば軽々と消滅させることができた魂が、のうのうと街をうろついているのはさぞ目障りなことだろう。

 そんな邪悪な視線が始まる場所が、この建物だ。この場所には、きっと沢山の天使が潜んでいる。

 彼がどのような存在か知っているものがそばにいれば、意地でも彼を止めただろう。ここは、魂の善悪を決める審判所――それそのものである。

 クラッドが入り口へと歩みを進めると、門番らしき男がちらりと彼をみやり、いやらしい笑みを浮かべる。

 獲物が自らのこのこやってきたと、今にも声を上げそうな門番に一瞥をくれてやると、男はおとなしく扉を開いた。

 建物の内部は、想像とは違い騒がしかった。霜子が魂の救済に匙を投げたとしても、これだけの天使が常駐しているのあれば、すぐに審判にとりかかることができるだろう。そして、それを今か今かと待ち構えているような――そんなざわめきが、充満していた。

 まもなく、法廷の扉が開かれる。内側から漏れ出る異質極まりない空気が、一度入れば二度と出られないことを物語っている。

 しかし彼に、進む以外の選択肢はなかった。他でもない、彼自身が消してしまったのだ。

 一歩、また一歩と足を進め、証言台へ。果たして普段の審判では発言権などあるのだろうかと、クラッドはぼんやりと考えながら、背後で扉が閉まる音を聞いていた。

「お前か、クラッド・ベルンハルト」

 暗がりだった廷内に薄ぼんやりとした明かりが灯ると、クラッドの正面にいる、おそらくリーダー格であろう天使が語りかけてきた。

「貴様の審判は大天使の『趣味』が完了された後に行われるはずだが。何故今、ここに来た。大天使の救済なしに、お前の魂が光を得られるとは思っていまいな?」

「まあ、そんなはずねーわな。だったら最初から俺はここに立ってる」

「ふん……」

 クラッドの不敬な態度にやや苛立ちを滲ませているが、ここで吠えるようであれば、天使であろうと大したことのない小物だ。クラッドの目線は常に相手を挑発している。

「ならば、何故だ。よもやその魂を消してほしいとでも言うつもりか」

 天使は可笑しくもない冗談を言ったつもりだろう。しかし、そのとおりだ。

「ああ、そうだよ。大天使霜子の救済を待たず、俺の魂を一切処分してほしくて、ここに来たんだ」

「……貴様、自分で何を言っているのかわかっているのか」

「まだ脳まではイカれてないつもりだよ」

 クラッドはそういい、頭をトントンと叩いてみせた。

 暫くの静寂ののち、疎らな笑い声が聞こえ始める。それが部屋を包む大喧騒になる頃には、リーダー格の天使も、ここぞとばかりに大きく手を広げて声高に宣った。

「これはこれは! なんと気分のいい、これほど面白い話もなかなか無い! 今頃奴は各地を走り回っているというのに、守るべき対象がこれとは! なんとも奴も救われん娘だ」

「いいんだよ。得られた収穫はあとの子に回してくれればね」

「なるほど、お前はあの娘のために敢えて命を投げ出すというのか。これまで見てきた者達は皆最後まで奴に縋っていたが……ははは、おかしい、おかしいぞ!」

 人が人なら腹を抱えて床に転がっていそうなほどの笑いように、クラッドは心地がいいと感じるほどだった。どれだけ笑われようが、貶されようが、虐げられようが。そこに、人のような心があるわけではない。

「こうするのが、一番良いんだよ」

「ふふ、そうか。そういうのならば仕方がない。他でもない、救済すべき魂自身の願いなのだ、叶えてやる他あるまい」

「ああ、頼むよ」

 クラッドがそう呟くと、天使たちはより一層大きく笑った。広い廷内に響くその笑声は、人類がイメージする天使とはまるで似ても似つかない、さながら悪魔のそれであった。

 地面が歪む感覚がクラッドを襲う。強い立ち眩みで目の前が暗くなり、立っていられない。耳鳴りが大きく頭の中で反響し、周りの音が聞こえなくなる。

 やがてこの耳鳴りさえ聞こえなくなった時、この魂は消えてなくなっているのだろう。

(それでいい。それで――みんな、幸せだ)

 じっと、その時を待つ。

 しかしいくら待てども耳鳴りが消えることはなく、それどころかあたりの喧騒が再び耳に入るようになっていた。

「どういうことだ……?」

 恐る恐るまぶたを開くも、そこにあるのは闇ではなく、変わらぬ天使たちの姿。しかし、天使たちの様子は変わっていた。どこか一点を注視しており、廷内は笑声とは違う、狼狽の声が蔓延している。

 クラッドも天使たちの視線を追う。その先には法廷の出入口があるだけで、他には何もない。しかし突如として、その扉が轟音を立てて吹き飛んだ。続けてもう一度大きな風が巻き上がり、あたりの粉塵が散らされたと思えば、その中心から、大きな白い獣にのった少女が勢い良く飛び込んできた。

「その審判、待ったぁ――!」

 見紛うはずもない。それは、巨大な獣と化した朔に跨った霜子の姿だった。クラッドが声を上げる間もなく、霜子は朔から飛び降りると、天使たちへ歩み寄る。そして小さな紙束を突きつけながら、臆面もなく言い放った。

「天使長レジーナ! この大天使霜子、各地を守護する自余の大天使より、了承の印を賜りました! よって、約束通りクラッド・ベルンハルトの身柄は今しばらくこちらが預かります!」

 霜子の言葉に、廷内がますます騒々しくなる。天使長レジーナと名指しされた天使――やはりこれが長で間違いなかったようだ――は、信じられないものを見るような顔で、霜子の手中にある紙を見つめている。

「そんな、まさかこんな短時間で……貴様、まさか偽物ではあるまいな」

「そうおっしゃるのであれば、どうぞ手にとってご確認ください。確かにこれらは、大天使各位による本物の印です」

 そう言って霜子は手渡そうとするが、レジーナは決して受け取ろうとしなかった。彼女の表情から察するに、彼女にとってそれらは障りあるものなのだろう。まるで、悪魔が聖なるシンボルに触れられないのと同じように。

「ふ、ふふ……まあいい。許可を得たところで、その男を浄化など出来るはずがない。……我々に期日などないのだからな」

「……ありがとうございます」

 霜子は気後れせずに一礼すると、すぐさま朔の背中に再び跨った。

「クラッドさん、呆けている場合じゃないですよ! ほら、早く乗ってください!」

「……え、あ、はい!」

 いつもとはまるで違う態度で天使たちと対話する霜子に、クラッドは圧倒されていた。ずっと孤軍奮闘し、相応の強さを培ってきたのだろう。彼は今一度、彼女に対する見解を改めるのだった。

 クラッドが背に乗ると、すぐさま朔は法廷を飛び出す。長い煉瓦道を抜け、川を駆け、森を抜ける。そうして辿り着いたのは、美しい湖のほとりだった。てっきり屋敷に戻るとばかり思っていたクラッドは肩透かしを食らった気分だったが、少し向こうに見慣れた人影を見つけ、意識はそちらにそれてしまった。クラッドの視線を受けてか、あちら側も霜子たちが到着したことに気付いたようだった。

「みなさーん!! 只今戻りましたー!」

 霜子が手を振ると、向こうにいる面々は各々に立ち上がり、こちらへと小走りで向かってくる。その中で一人、全力で走ってくる人影を確認すると、霜子はそっとクラッドの隣から体をずらすのだった。

「え、あ、え!?」

 クラッドがその人物、ディールの表情が怒りにまみれたものだと判断できる頃には、ディールの拳は小気味いい音を立ててクラッドの顔面へと沈んでいた。

「この……馬鹿野郎!」

「ディ、ディール……?」

 勢いのまま倒れ、殴られた部位を押さえながら目を白黒させているクラッドに向かって、ディールは聞いたことがないような大声で怒鳴った。

「お前自分が何しようとしたかわかってるのか!」

「ちょ、ちょっと落ち着いて……」

「うるさい!」

 ディールは怒っていた。心の底から、ひどく、自分の心で。

「ふざけんなよ……、どんだけくそったれだろうと、ゲス野郎だろうと、お前のために霜子さんが世界中走り回ってくれている間、お前なにしてた? 俺をひっぺがして一人でどっかいって、挙句……! お前、本当に消えるとこだったんだぞ!」

 言葉は溢れだして、止まらない。

「お前に消えてほしくない奴がこんなにいるのに……お前は本当に馬鹿だ。お前が消えれば、確かにアリッサはそれで助かるかもしれない。でもな、彼女がお前を殺したことを気に病んでこの世界に入ってこれないとするなら、またお前を犠牲にして自身が生き残ること、彼女が喜ぶとでも思ってるのか!? そんなわけあるはずないだろ!」

「……」

「誰かの犠牲になることが格好いいなんて思わないでくれ。お前は特別でもなんでもない、間違えるな。 お前は……、お前も、ただの普通の人間だろうが……。くそ……、本当に……」

「ディール……」

「本当に、心配したんだ……っ」

 矢継ぎ早に放たれた言葉は、クラッドにとって痛いものばかりだった。それを承知の上で出た行動だったが、それでもこうして叩きつけられると、自らの行動には停止した思考がありありと映しだされているように感じられた。

「ごめん、ディール。ごめん」

 座り込んでしまったディールの髪を撫でると、嗚咽がより一層大きくなる。

「……心を自覚するって辛いでしょ」

 琥珀色の瞳を覗きこむ。そこには確かに、誰のものでもない彼の感情が垣間見えた。

「でもね、俺はディールがそうなってくれて本当に嬉しく思ってる。……ほんとだよ」

 そう伝えると、ディールは僅かに俯き、苦しそうに呟く。

「つらいよ。ものすごく。……とくに、影響がなくても結局俺は泣き虫なんだってわかったことが」

 ディールは袖で涙を強引に拭うと、ヘラリと笑った。クラッドもつられて笑ったところで、霜子とセルフィが互いにバインダーで彼の頭を叩いた。

「いたっ!」

「お前、本当にみんな心配したんだからな。用事済ませて急いで戻ったらお前はいないしディールは意識を失ってるしで、彼から事情を聞いた時は肝を冷やしたぞ。朔と霜子が戻らなかったら本当にやばかったんだ。さっきディールがでかい一発かましてくれたからな、これで勘弁してやる」

 そう言ってセルフィはもう一度バインダーをふる。

「ほんっっっっとうにクラッドさんはダメな人ですね! もう済んだことですしうるさくは言いませんが、霜子さんは信じて待っててくださいって言ったのに。……ほら、こうやってちゃんと、霜子さんが材料掴んできたんですから。もう絶対消えるなんて言わないでくださいよ」

「ごめんって。ほんと……悪かったよ」

 今度という今度はクラッドも本気で反省したのか、もう下手な言葉でかわそうとはしなかった。

「それならよろしい!」

 霜子はそれ以上、本当に何も言わなかった。いつものようににこにこと笑う、普通の少女がそこにいる。

「……ありがとね」

「まあ、私の趣味ですから。その代わり、これから少し急なお話をさせてもらいますので、それでちゃらということで」

「それってやっぱ俺のこと?」

 霜子は無言で頷くと、事の経緯を話し始める。

 

 二人にすべてを告げたあと、霜子は宣言通りクラッドを救う手立てを探すべく、有史以来自分と同じような活動をしていた者がいないか、あらゆる方法を駆使して有効に使える魔法がないかなど、自らの手が届く情報には全て手を付けていった。その時はまだアリッサ・アルベルティと判明していなかった『誰か』のことも気がかりであり、どうにか彼女の輪郭をはっきりとさせる方法も、霜子は平行して探していた。

 しかしやはり自分の行動はこの世界における異質であるのか、いまいち手応えを得られないまま数日が経過した。

 そしてある日、彼女は意を決し、審判所へと乗り込んだのである。

 彼女も元はといえば、あの天使たちの中に混ざり、魂の審判を行っていた一人である。すでに過去の話であるが、同僚であった自身にどうにか知恵を貸してもらえないだろうか――などと頼み込むつもりは、彼女には毛頭なかった。

 ならばなぜ彼女が審判所に現れたのかというと、彼らが彼女を憎めば憎むほど、面白い隙が生まれるからである。

 彼らの好物は、今や自分たちの思想を蹴った彼女の苦痛である。これさえクリアできれば、あの魂は救えたのに。そう愕然とする霜子が流す涙が、彼らにはこの上ない甘美なものなのだ。

 しかし裏を返せば、彼らの提案の不可能な部分さえ埋めてしまえば、それは魂を救える第一歩となる。もちろん提案の中には、邪道と言えるものがいくつでもある。しかしそれにすら縋りたくなる。彼女にとって大切なのは、今その時の想いである。霜子は、天使長レジーナに案を乞うた。すると彼女は、思った通り、不可能さえ可能にすれば道が開ける、とてつもない案を掲げてみせたのだ。

 彼女は言った。人生をやり直させでもすればいい。同じ過ちを犯すことなく一生を終えた暁には、記憶に眠る闇は葬られるだろう。と。

 そして、こうも言った。まあ、世界の了承を得ない限り、そのようなことは出来るはずもないがな。と。

 その言葉を受け、霜子は小さく礼を言うと法廷を後にする。背後からは多くの笑い声が聞こえてきたが、彼女は無言で審判所の外まで出る。

 そして大きく、ガッツポーズをした。

 ――まさか、まさかそんな方法を提唱してくるとは。やはりあの人達は、どこまでも残念だ。

 ――それでも、それで彼の魂が救われるのであれば。

 ――自らが背負う罪など、こんなにもちっぽけだ!

 霜子は外で待機していた朔の背中に乗ると、すぐさま話をするために屋敷へと戻る。すると呼んでもいないのに外へと飛び出してきたセルフィとかち合い、そこでアリッサの魂が形を取り戻したことを聞いたのだった。

 その情報を受け、彼女のモチベーションは最高潮に達した。セルフィに各所に駐在している大天使にことのあらましを伝えてもらえるよう頼むと、霜子はそのままの姿で飛び立ったのであった。

 ――これできっと、ふたりとも助かる!

 

「……で、そう思った矢先にああなってしまったわけなのですが」

「反省しています……」

「クラッドさんが審判所の場所をちゃんと覚えていなくてよかったです。一直線にたどり着かれていたら間に合いませんでした」

「でもさ、俺が屋敷をでてからかかっても二時間ほどだよ? 霜子ちゃん、その間に各所をまわったの? わりと近場にある各所?」

「それはまあ、朔の機動力のお陰ですよ」

 霜子は足元で丸くなっている朔を見る。

「私と同じ大天使の地位を持つものは、この世界の末端に住んでいて、各所の世界の扉を守っているんです。線で結ぶとちょうど五芒星になっていて、中心の五角形に、この湖、一番大きな、世界の扉があります」

「てことは……秒速でもすごいことになりそうだね」

「そうですねぇ。ほんとは私のほうが朔より早く飛べるんですけれど、ついた先で話もできないほど疲れてしまうので」

 

 審判所という狭い世界しか知らない天使達は、彼女をなめていた。なめきっていた。それ故、知らなかったのだ。彼女がどれほど、広い世界に生きているかを。

 そして霜子は、各所に飛んだ。

 セルフィの通達は的確に行われており、ほとんどの大天使は、霜子がそこに辿り着くなり了承の印を預けてくれた。中には渋るものもあったが、多数決というていで、彼女の顔に免じて印を預けた。途中で新たにセルフィから受けた通達には度肝を抜かれたが、それによってますます彼女の想いは加速していった。

 大天使たちは皆、天使と言う文字が含まれていても、天使ではない。彼らは天使たちとはまた別の思想を持っている。そしてまた、その上にいるものも、異なる思想を持った者達である。この世界の層は、様々な異質なものをつみ重ねて出来ているのだ。様々な考えがあるというのに、今までは、この世界をまとめる者達の最下層でしか、物事を決定してこなかった。霜子の働きにより、徐々に各層の考えが変わってきているのである。

 当然、レジーナの言う人生のやり直し――つまり時間を巻き戻すことだ――などという方法は、世界が今まで培ってきたものを無にすることに等しい、許されざる冒涜である。それであるにもかかわらず、彼らはひとつ、その世界の記憶をこの世界に保存させるという条件を出すと、自分たちも同じ罪を背負おうと、首を縦に振ったのである。

 そしてすべての大天使より許しを得て、クラッドの救出へと向かったのだった。

 

「この印は、クラッドさんがどんな人物であろうと救われる権利があると、みなさんが認めてくれた何よりの証なんですよ」

「……」

「そしてこれで、アリッサさんもきっと助けられる」

「……そっか」

 クラッドは全身の力が抜けるのを感じた。自分が消えることなく、自分が救われることが夢物語でなくなる方法を、まさか本当に持ってくるなんて。

「君は本当にすごいな」

「いえ。これでもまだ、私は五割もあなたを救えていないんですから。ここからは、全てがあなたの行動に掛かっています」

「それでも、君は君のできることを全部やってくれたんだから。百点満点だよ」

 そう言って頭を撫でると、霜子は困ったように笑っていた。自分にはどうにもできないことは、やはりどう手をつくしてもできないのだと思い知らされるようだった。

「でも、霜子さんはあんまり心配していませんよ。記憶に靄がかかっていてもアリッサさんのことを覚えていたお二人なんですもの、きっと記憶がなくったって、最悪の事態は回避できますよ」

「無茶言うなぁ。でもまあ、霜子ちゃんの言うとおりかな。それに俺には、もう一度生きられるなら叶えたい願いがいくつかあるんだよ」

「そうですか。それなら、しっかり叶えて来てください。霜子さんはこの世界で、再びお二人にお会いできる日を楽しみに待っていますから」

 霜子は二人に笑ってみせる。すべての不安を払拭するような、とても自身に満ちた笑顔で。クラッドとディールも、同じように笑い返す。決して、負けぬように。

 

 じきに太陽が沈みだし、辺りは夕日の赤に染まり始める。

「……まだ、もう少しだけ、日が完全に落ちるまで時間があります。今のうちに言いたいことは言っておきましょうね」

 二人にそう告げると、霜子はアトリ、朔、セルフィ、アフリットの四人とともに、少し離れた場所へと歩いて行ってしまった。

「あーあ……」

「残されたな……」

「このタイミングで何話せってんだか」

 照れから来る苛立ちか、クラッドはバリバリと頭をかいている。

「じゃあ、質問するか」

「質問? なに」

「もう聞いてもいいだろ? お前の願いだよ」

「ああ、それね……。結局いう羽目になるんだよ、まったく」

 クラッドは恥ずかしそうに顔を掻いていたが、諦めがついたのか、草の上に座り込むと、ポツポツと話し始めた。

「クラッドさんの至極ささやかなお願いごとはね、君ともう一度生きることなんだよ、ディール」

「は?」

「霜子ちゃんはさぞ困っただろうね。魂が真っ黒だから浄化しようと思ったのに、俺の願いがこんなもんだから、叶えようにも叶えられない。俺なら早々に匙を投げるね」

 そうしなかった霜子を心の底から賞賛しながら、クラッドは続ける。

「言っただろ? 後悔してるって。君を傷つけずに生きられたら、そこにどんな未来があるんだろう。なんてさ、ベルンハルト家次男はそんなしょーもないことばっか考える男なんだよ。やりなおしたい、やりなおしたいって願ってたのが、まさかこんな形で実現するとは思ってもみなかったけどね。すげーよ霜子ちゃん、本当に全部やってくれてんだよ」

「……確かに、俺がお前の立場でも、やり直したいと思っただろうな」

 ディールは静かに同意を唱えたが、クラッドの瞳を見つめたまま、はっきりと答えた。

「それでも、今までの積み重ねを経て今の俺達があることを忘れないでくれ」

 どんなことをされようが、今まで共にいたという事実に、後悔してほしくない。もう、彼はすべてを許したのだから。

 わかっているという返事のかわりに、クラッドはディールの手を握る。なにも言わずに、ディールはそれを握り返した。

「……俺は、同じ声、同じ顔でも記憶が違えば、もうそいつは、自分の知ってるそいつとは別の存在だって思うタイプの人間だけどさ。それでも俺はまた、君に会いたいと思うよ」

「ああ」

「たとえ俺が俺じゃなくなっても。俺は、君に会いに行くから。だから、その時は……」

 そこでいったん不自然に言葉を切ると、クラッドは下を向いて口ごもる。この上ないくらい顔を赤らめているが、結局その口から出てきたのは、彼が用意していたものとは別のものだろう。

「その時、俺のこと怖がらないでよ」

「はあ? なんだそれ。絶対別のこと言おうとしただろ」

 あまりの意気地のなさにディールは呆れた声を上げる。

「いーいーんーだーよー! その時になったらちゃんと言うからさ……」

「……あっそ。でもまあ、怖がらないって約束はできないな」

「そりゃあ、そうだろうね」

 残念そうにクラッドはいうが、ディールは優しい声で付け加える。

「だから、思い出せるように。今ここで、祈っておくとするか」

 そう呟き、ディールはクラッドに体を預けた。そのまま瞳を閉じると、クラッドは優しく、愛おしそうにその髪を撫でた。

「じゃあ、俺もそうしようかな。あとちょっと、ほんの少しの時間だけど」

 夕闇の迫る湖畔。二人の影は背後に長く伸び、やがて闇と同化する。ほんの僅かな時間では、願いなどどこにも届かないかもしれない。

 それでも、他でもない自身の魂に刻みこむことができたなら、それだけで十分、希望になり得る。

 視界が闇に閉ざされても、たった一つ。その輝きを追い続けることが出来るならば、きっとだいじょうぶだろう。

 再び出会う未来が、どんなものであろうと。

 君が生きられるというのであれば、それでいい。

 最後まで互いのことを祈りながら、二人は、太陽が沈むのを目をそらすことなく見つめていた――。

 

 

 

「――そろそろ、お時間です」

 霜子の声に、二人はゆっくりと腰を上げる。湖の水面には満月がゆらゆらと揺れており、そのまわりをいくつもの光が蛍のように舞っていた。

 彼女とともに湖のきわに降りると、その光は彼らの周囲をくるくると回り始める。

「これら一つ一つが、この世界の扉の鍵……すべてが揃った時、扉が開きます」

「そっか。ありがとね、いろいろと。後ろの人達も。なんだかんだで退屈しなかったよ」

 クラッドは軽く手を挙げる。

「おう。またここに来た暁には、またいろいろと話、聞かせてくれよ。おいディール、絶対そいつのこと引っ張ってくるんだぞ」

「うぐ……、ぜっだい戻ってくるんだよぉ……!」

「お二人とも、どうかお元気で。ご武運を」

 セルフィは作らぬ笑顔で。アトリは嗚咽を漏らしつつ。朔はなにも言わずに尾だけ振り、アフリットは、いつもどおり無表情に淡々と。各々に反応を返す。

 そして霜子も、二人の顔を覗き込む。

「お二人揃って、必ずもう一度ここで出会えることを祈っています」

 右手を差し出すと、二人は順にその手を握った。

「霜子さん、どうもお世話になりました」

「また会おうね」

 固い握手を交わし手を離すと、いよいよ光も大きくなり、次第に二人の姿は見えなくなる。

 そして、にわかに光が強くなると――その刹那、光の粒は爆発するようにあたりに散っていった。

 彼らの姿は、もうどこにもなかった。

「行ったか」

 背後から声をかけると、霜子はとても小さい声で呟く。

「消えるときは本当に一瞬ですね……」

「……ばぁーか」

「のあッ!」

 あまりにも頼りないその声に、セルフィは強く彼女の背を叩く。

「めそめそしてんじゃねーぞ! これからすぐアリッサのとこにもいかなきゃならんのだ、そんなんでどうする!」

「だ、だってですね!」

「大丈夫だよ。十分手はつくしたんだ。あとは、あいつらがちゃんと結果を残してくれるさ」

「……セルフィさまぁ……!」

「だからほれ! さっさと行くぞ! 次だ次! しゅっぱーつ!」

 ばしんばしんと背中を叩かれ霜子は情けない声を上げるが、その顔にはもう不安の色は残っていなかった。二人の姿を二歩後ろで眺めながら、アフリットとアトリは笑い合う。

「いやはや、彼も普通に励ませないものかな」

「真面目に思われたくないのでしょう。……すでに皆わかっていることですが」

「プライドかな?」

「でしょうね」

 背後での談笑に気付いたのか、セルフィが振り向くと、すぐに二人は表情をかえる。バカにされている雰囲気に彼が声をあげようとすると、それは霜子によって阻止された。

「ほらほら、言ったそばからあなたがそんなでどうするんですか! さ、いきますよ! アリッサさんを迎えに!」

 霜子の元気な声を合図に、それぞれはまた別の目的地に向かうのだった。

 

 

 

 

――百年、また百年と時は過ぎ、この世界は大きく姿を変えていった。魂の審判には天使よりも更に上位に立つものから行われるようになり、最終的に天使のもとに落とされる命はほとんどなくなっていった。

 霜子の位もひとつ上がり、今では彼女を批難するものも数えるほどである。それでも彼女は決して驕ることなく、自らのやるべきことをずっと続けている。

 一つだけ足りないものを残しながら、どんどん、どんどんと過ぎていく時間。様々な魂が、入れ替わり、立ち代わり。それでも、『彼』の姿を見ることはなかった。

 未だ現れぬ魂。その片割れは、例えどれだけ時がたとうと、彼が消滅したなどとは考えず、ただ静かに祈り続けていた。

 ひとつ、またひとつ。新しい姿へと代わってゆく世界で、変わらぬものを唯一待ち望み、ただ、静かに。

 

 それは、本当に急なタイミングだった。その日は満月の次の日、雨上がりの朝。いつもの青空の中に、いつもとは違う気配が混じっていた。

 気付いてからは早かった。それに関わったすべてのものが、みな一斉に屋敷の前へと集まっていた。

 静かに、雨垂れの音だけが支配する世界の中。

 待ち望んだその姿は、何くわぬ顔で。

「綺麗な空だね」

 などと、宣ってみせた。

 許されざる自らの行いを、それでも許されたいと。願い、祈り、渇望し、信じた魂が、今幾年の迷いを経て、再びこの世界に降り立ったのだった。

 

 誰も、声を発することはなかった。それは、一人駆け出したものがいたからだ。

 彼は長年待ち続けたその姿と距離を詰めると、その勢いのまま飛びつき――大声を上げて、泣いた。

 悲しくて、苦しくて、でもとても嬉しくて。泣きじゃくる彼の髪を撫でる手つきは、相変わらずとても優しかった。

 優しく微笑む群衆の中で、見慣れた赤毛の少女も笑っていた。

「あなたが一番最後ですよ。……クラッド」

 そう言われ、苦笑する。街のあまりの変わりように、彼自身も時の流れを大いに感じているようだった。

「長い間、待たせてごめんね」

 そう言い、クラッドは涙に濡れたディールの瞳を覗きこむ。もう、誰にも左右されない、強い自我であふれている。彼は彼の意志で、世界がこんなに変わるまで、ずっと一人だけを待ち続けていたのだ。

 ――ごめんね、ありがとう。

「また、会えたよ」

 そう呟くと、クラッドの瞳から一粒、涙がこぼれ落ちた。

 雨上がりの濡れた空気が原因だと、彼は言い訳するだろうが。それは確かに彼がこぼした涙だった。

 

 今日もまた、変わらぬ姿で太陽は登る。空にかかる大きな虹は、まるでこの日を祝うかのように、美しい色彩で空を飾っている。

 いくら時が経とうとも、どれだけ街が変わろうとも。これからもずっと、変わらぬものがここにある。それを強く噛み締めながら、クラッドは強くディールの体を抱きしめた。

 

 もう二度と、離さぬように。

 

「おかえり」

 

 どうにもできない嗚咽の中、かろうじてディールはそれだけを伝える。

 たったそれだけで、もう十分だった。

「ただいま。……ディール」

 静かにそう呟き、彼を抱く腕により一層力を込めた。

 

 これまでないがしろにされていた、尊ぶべき命たち。彼らはそれを、この世界に知らしめてみせたのだ。

 

 もう誰も、彼らが共に生きることを咎めはしない。

 やわらかな風が静かに吹き抜ける街で、二人はその権利を得たのだった。

 

 

 

 運命を凌駕し、再び巡り会えた二つの魂。

 各所を守る大天使たちも、この日ばかりは、彼らのために祝福を歌うのだった。

 

 

 

 

 

Story after the end black ...END