よるにまぎれる 1

 それらのことは、誰も知らない。知った人は皆同じになるから。

 それらのことは、誰も聞かない。そもそも居ることすらわからないから。

 それらのことは、誰にも言わない。言ったところで、誰も信じてはくれないから。

 

 約束を破るとどうなるの?

 

 私たちは、夜に紛れる。

 

 

 

❉ ❉ ❉

 

 

 

「――てな感じの決まり事があってね、ホント面白いんだよねー!」

 本日も午前より絶好調な滑り出しを見せる少女――黒澤音子は、相も変わらずリアクションの薄い二人に対し、楽しそうに生まれ故郷の話をしている。

 同じ紋守市内とはいえ、北と南では随分と勝手が違うらしく、音子はその違いに触れるたび、うちはこうだった、ああだったと話して聞かせる。その話し方は故郷を自慢する風ではなく、かと言って卑下する風でもなく、互いの良いところを持ち上げてみせるため、決して聞き心地の悪いものではない。むしろ、生まれてこの方紋守市南端部から出たことのない二人にとっては、外の世界を知る貴重な情報源でもあった。

 黒澤音子は、ごく最近この地へ越してきた転入生である。以前は同じく紋守市の南端部にある紋守第一高等学校に所属しており、そこそこ有名な軽音楽部でドラムパートを務めていたらしい。

 転入初日の挨拶の時点で、二人――譲葉サライ、そして立花隼人に目をつけていたらしく、一限終了のチャイムが鳴ると共に、二人の元へ突撃するという脅威の行動力が功を奏したか、すでに彼女のことを転入生としてよそよそしく接するものはいなくなっていた。

「そういやさ、ここにはどんな約束があるの?」

 一通り話し終えて満足したのか、音子は前のめりになっていた姿勢を一度正すと、二人に問うた。

「同じ紋守なんだもん、何かしらあるでしょ?」

 先程の話からすると、約束というのは決まり事――ルールの事だろう。隼人はすぐさま、自身の見に覚えのある特別なルールについて話す。

「勿論。深夜零時を過ぎたら、決して外に出てはいけない、ってやつが」

「ああ! それ確かこっちに来るときにめちゃくちゃ注意されたの覚えてるや。やっぱりここの人はちゃんと守ってるんだ?」

 夜中に外に出るなって子供に向けてのルールみたいだね、と音子はおどけてみせる。それに合わせるようにして、隼人も笑った。

「変わってるだろ。生まれたときから言われてるから、それほど不自由はしてないけど……と言うか、俺自体零時を回る前に寝るし。出かける用事もないしな。でも夜更かしが趣味のやつなんかは、コンビニとか行きたくなるのかね? なあサラ――……サライ?」

 先程まで楽しそうにしていた幼馴染がいつの間にかにわかに暗い顔をしている事に気付き、隼人が声をかける。するとすぐにはっと顔を上げ、サライは二人の顔を交互に見る。

「ご、ごめん……なんだった?」

「夜中に外に出ちゃだめって面白いよねーって話! サラちゃんも出ないの?」

「う、うん……約束だから。黒澤さんもちゃんと守らなきゃだめだよ」

「守るは守るけどさー、なんでなんだろうね?」

 理由の見えないルールに首を傾げる音子を見ながら、サライは少しばかり真剣な顔をして言う。

「……昔から決まってることなんだもん。きっと……ちゃんとした理由があるんだよ」

「例えばどんな?」

「え!?」

 尋ねられるとは思っていなかったのか、サライは少し大きな声を上げて驚いた。うんうんとうなりながらも、絞り出すように呟く。

「お、おばけが……出る、とか……」

「……なるほど」

「なるほどそれは怖いね。外でちゃダメだわそれは」

「恥ずかしい……」

 笑って流してもらえると思っていたのか、予想外に真剣な顔で頷かれ、サライは顔を隠して下を向いた。そんな彼女の様子を見て、音子は満面の笑みを湛える。

「サラちゃん冗談が下手すぎてかわいいんだなぁ~。隼人くんが羨ましいー!」

「は? なんで」

「隼人くんとサラちゃんって幼馴染なんでしょ? ずっとこの挙動を見て育ってきたとか最高すぎるじゃん」

「あー……そうな」

「うわぁ出たよ幼馴染特有の余裕」

「別にそんなではないが」

 隼人が音子の絡みを適当に往なしていると、やがて三限目の開始のチャイムが鳴り始めた。依然としてブーイングを続ける音子を尻目に教科書を机上に並べていると、やがて諦めたのか、音子も後ろ向きに座っていた椅子にきちんと座り直し、授業の準備を始めるのだった。  

 六限目後のホームルームが終わり、次々と教室から出ていく生徒たちを見送りながら、サライと隼人も帰宅準備を始める。音子はと言うと、別の友人と約束があるらしく、チャイムが鳴った瞬間にはすでに教室をあとにしていた。

 とくに用事のない二人は至極のんびりと教科書を鞄に詰め込み、ゆったりと教室を出る。別々の部活動に所属する二人の下校時間は滅多に重なることはないが、何らかの理由で都合の合った日には、こうして帰路を共にしている。大凡、それは学校の行事であったり、テストにより部活動が休みになる期間であったりするので、帰り道での会話は、自然とそれらを主題としたものとなる。今回は、目前に迫った中間テストが話題に選ばれたようだ。

「隼人くん、今回のテスト、自信……ある?」

「とりあえず通常問題はなんとかなるだろ。あとは中川の気分次第だな……」

「わ、通常問題は全問正解できるってこと? さすが、いつも百二十点とる人は言うことが違うね」

 サライが茶化すように言うと、隼人は居心地が悪そうに首を振る。

「極端なんだよ、脳の構造が。かわりに運動神経を落っことして散々だ」

「でも隼人くん、剣道部ではそこそこいい成績なんでしょう? 幽霊部員なのに」

「なんというか、あれは走ったり飛んだりはしないだろ。動きの読み合いは俺にとっては計算寄り」

「へえ。そうなんだね」

 馬鹿にする風でもなく、サライはほのかに微笑む。

「サライの方は?」

「私? 私は……そうだな、八十点はとりたいかな。世界史が少し苦手な範囲だから、他の教科で点とらないと……」

「お前世界史苦手だよな」

「うん……。横文字の名前? 覚えにくくて……」

「俺が戦国武将を覚えられないのと同じだな」

 隼人の呟きを聞き、サライは控えめに声を出して笑う。

「ふふっ……隼人くん、あんまりにも覚えられなくって、最後には人物以外が描かれている面積と関連付けて、わけのわからない暗記をしてたよね。なつかしいなぁ、中学の頃だよね」

「そうな」

 そこから話は幼少期へと遡り、その繋がりで現在との比較に移り、あれやこれやと談笑しているうちに、二人が分かれる三叉路へとたどり着いた。ここからサライは左へ、隼人は右へ。共に自宅までそう距離があるわけではないが、ここからは少しの間だけ一人きりの道となる。

「もうついちゃった」

 サライが少し残念そうに言う。

「明日から一週間は一緒だろ」

「うん。……そうだね」

 隼人としては至極当たり前のことを言ったつもりだったのだが、何故かその言葉を聞いたサライは嬉しそうに頬を染めるのだった。

「それじゃあ、また明日」

「おう」

 ひらひらと手を振り、二人は別の道へ別れ、歩みを進める。が、ほんの十歩ほど進んだところで、サライが急に分岐点まで戻ってきた。

「隼人くん!」

 わずかに離れた場所から声を描けられ、隼人は振り向く。

「? どうしたー?」

「あのね! あの……えっと」

 言いたいことが纏まらないのか、しばらくもごもごと口ごもっていたサライだったが、見かねた隼人が近くに寄ろうと踵を返した途端、大きな声で言い放った。

「ちゃ、ちゃんと早く寝るんだよー!」

「……は?」

 隼人が呆気にとられている間に、再びサライは駆け足で元の道へと戻っていった。

「テスト前……だからか?」

 彼女の謎の叫びに首を傾げながらも、隼人は改めて自宅への道を歩むのだった。

「……」

 その姿を、サライは見守るように覗き見ていた。

 誰にも聞こえないほど小さな声にのせた想いは、当然彼の耳に届くはずもなく。そうと知っていながらも、サライは言わずにはいられないのだった。

「隼人くん。決まりには……ちゃんと理由があるんだよ」

 何事もなく自らの家へと帰還した隼人は、手早く日々のルーチンワークを終えたあと、鞄から教科書を取り出し、おもむろに読み始める。隼人は頭の作りこそ少しばかりか常軌を逸するものではあるが、天才ではない。テスト前にはきっちりと教科書を読み、復習程度のことはしている。かと言って、普段の授業内容はすべて頭に入っているため、どちらかと言うと自身の記憶の確認、あるいは〝中川〟の出題予測をするという意味合いが最も近いと言える。

 中川というのは隼人達の通う紋守高等学校の教員の一人で、百点満点のテストにボーナス問題を作り始めた張本人でもある。ボーナス問題に挑戦するのは自由なため、その難題に時間を割く者の数は少ない。しかし毎回ボーナス問題まで全問正解し百二十点を獲得する隼人の存在に、中川は嬉しいのか悔しいのか、徐々に難易度を上げてくるようになっていたのだった。隼人とて負けてはやれぬと、今回もテスト範囲の枠を超えた部分に焦点を当てている。

 自分一人しかいない部屋の静寂に、教科書のページを捲る音だけが響く。隼人はこの瞬間が嫌いではなかった。

 一枚、また一枚とページを捲っていくうちに、窓から見える街灯は消え、外はほとんど完全と言ってもいいほどの暗闇に包まれていた。

「……ん、もうそんな時間か……」

 外の様子を見て、隼人は時間を確認しようと携帯端末に手を伸ばす。

「あれ。んん……?」

 が、どこを探しても目当てのものが見つからない。そんな馬鹿な、ともう一度部屋の隅々まで探してみるも、やはりあの赤い端末はどこにもなかった。

 まさか。

「がっ……こうに忘れ……」

 隼人は焦りきった顔で壁掛け時計を一瞥すると、もう一度窓の外に目を向ける。時刻は二十三時四十六分。

 ――取りに、いけるだろうか。

 今朝、音子やサライとした話を忘れたわけではない。しかし隼人にはどうしても今ここに携帯端末がなければならない理由があった。

 彼――立花隼人は、凄まじいほどに寝起きが悪いのだ。起き抜けが酷く怠いどころか、自身の携帯端末のプリセット音源でしか起きられないと言う重症っぷりである。両親は隼人が目覚めるよりも早くに家を出てしまう。例えその時間に起こされたとしても、また再び深い眠りへと誘われてしまうだろう。

 彼を起こしてくれる人間としてサライも数に入れることができるが、中学の頃に同じく携帯を紛失した際、やはり起きなかった隼人が自然に目覚めるのを待っていたサライが、一日学校をサボってしまう――隼人がサボらせたと言って間違いない――などということが起きてしまったのだった。

 愚直なサライのことだ、高校生になったといっても、そのあたりが変わることはないだろう。なので、サライは選択肢から除外しておく事とする。

 あとは――。隼人は、ある特定の人物の姿を思い浮かべる。

 零時を過ぎると外出を禁じられるこの街では、特別にそれ以降も外に出てもいい人間が存在する。その特別な人間たちは、緊急事態が発生した際、他の住民たちのかわりに行動する義務があるらしい。

 隼人は一瞬、それらの人物に繋がる連絡先を確認しようと季報を手に取るも、すぐにそれを投げ捨てる。

 これは緊急事態ではない。自身のわがままだ。こんなくだらないことに他人を巻き込むべきではない。

 隼人は意を決し、恐る恐る一階へと降りる。両親はすでに安らかな寝息をたてているため、起こさないようにと細心の注意を払い、玄関に脱ぎっぱなしの靴を回収し、再び自室へと戻る。

 時間は少しだけ進み、二十三時四十九分。自室の窓を開けると、隼人はそっと外へ出る。幸い隼人の自宅は標準的な家屋とは違い、一階に寝室があり、二階部分にリビングのある造りとなっているため、窓から外に出るのは比較的容易である。

 土の感触を踏みしめ、深呼吸をする。片道二十分の通学路を十分で駆け抜け、五分で携帯を見つけ、再び十分で帰宅する。やれないことはない。ただし、自身の運動能力は考慮しないものとする。

 単純計算で零時を一五分ほど過ぎることとなるが、零時ぴったりに何かが起きるということもないだろう。

〈……昔から決まってることなんだもん。きっと……ちゃんとした理由があるんだよ〉

 走り出す間際、今朝のサライの表情が思い浮かんだが、隼人は小さく謝罪を口にしながらもその足を止めることはできなかった。

 

 

 やれないことはない。そう強くイメージして走り出した隼人だったが、一分ほどの全力疾走を果たしたのち、その考えをすぐに改める事となった。普段は片道を二十分かけて歩む道だ、当然校舎の姿は未だ見えないまま、腕時計の針は二十三時五十九分を指し示した。

 唾を飲み込むことすら辛いほど乾いた喉に、隼人は走ることを早くも諦め、これでもかと痛む横腹を押さえながらとぼとぼと歩く。その間にも時間は進み、とうとう午前零時を知らせる甲高い電子音が、辺り一帯に響き渡ったのだった。

 しかし夜の闇は何ら変わった様子もなく静かに佇んだままであり、大げさに拍子抜けをした隼人は、肺に溜め込んだ空気をふっと吐き出す。

「結構あっさりと過ぎちまったな……」

 約束を破ったことへの罪悪感こそあれど、これと言って目に見える〝理由〟も無く、隼人はこの町の決まりの内訳は思ったよりも単純なのではないかと思い始めていた。それは町民の健康管理であったり、防犯目的であったり。少なくとも、サライが言うおばけなんてもののためではない。

 幼馴染のでまかせに顔を綻ばせていた隼人だったが、急激な違和感に包まれ足を止める。いや、止めざるを得なかった。

 その違和感を形容するならば――〝黒が落ちてきた〟。突然目を塞がれたのかと錯覚するほど、一瞬のうちに周囲が黒に染まりきったのだった。

 零時を過ぎ無人となった道路はいつもどおり眠りについており、月明かりを除けば、光源はほとんど無いに等しい。その唯一の光源が、何らかの要因によって遮られたのだった。

 しかし、この晴れ渡る空のどこにつきを覆い隠す要因などあろうものか。改めて空を確認しようにも、この暗さでは空さえも視認することは難しい。そもそも月が雲に隠れた程度では、塗りつぶされたような黒にはなり得ない。

 いつも窓から眺めているそれとは全く違う表情を見せる夜の町に、隼人は一人取り残されたように立ち尽くす。にわかに恐怖を感じ始めるも、隼人は予め持ち出していた懐中時計を点灯させ、なんとか平静を装う。普段屋内で使用する際には申し分のない照度を誇るそれも、この闇の中では足元を照らすのも一苦労といったところだ。

 いつの間にか闇の向こうでは複数の気配が蠢き、不特定多数の場所から、雨よりも大きな水の塊が地面にぶつかり死んでいく音が聞こえていた。

「なんなんだよ、これは……」

 一度は揶揄した幼馴染の発言が、いよいよを持って現実味を帯びてくる。オカルトの類は全く信じていない隼人だったが、現在は状況が状況なだけに、目に見えない存在を脳が勝手に作り出しそうだ。慌てて首を振り、今日のところは徹夜をすることで寝坊を回避しようと踵を返す。すると――。

 

「み、ゆ、ェ、あ」

 

 ――すぐ後ろから、何かが聞こえた。

 それは声と呼ぶにはあまりに散らばった音の継ぎ接ぎだったが、確かに〝なにか〟を〝誰か〟が呟いた。

 ――まずい、動けない。

 完全にすくみあがり、隼人は逃げ出すことは愚か、指の先すら動かすことが出来なくなっていた。

 なおも、音は止まない。それどころか、先程まで遠くで聞こえていたはずの水音すらも、すぐ近くまで迫っていた。

 ボトリ、ボトリ。散らばる飛沫が隼人の足を濡らす。もはや、後ろを振り向く必要はなかった。

 薄ぼんやりと光る二つの目が、体を不自然に折り曲げ、彼の顔を覗き込む。

 

「ぃ、つ、ェ、たァ」

 

「――……」

 

 ――俺、死ぬのかな。許容量を超えた恐怖で逆に冷静になった隼人は、漠然とそんなことを考えていた。

 サライの言うことをもっと真剣に受け止めるべきだった、などと後悔しても、今となっては後の祭りだ。

 息がかかるほどの距離に迫った二つの目に、この先に続く人生を諦めかけたその刹那――眩い閃光が閃き、次の瞬間には、辺りを埋め尽くしていた闇が消え失せ、月は最初からそこにいたかのように変わらぬ表情で揺れていた。

 緊張の糸が解けたせいか、それとも普段であればすでに眠っている時間だからか、隼人は自身の意識がゆっくりと薄れていくの感じていた。

「は……隼人くん……!?」

 その中で一瞬幼馴染の姿を見たような気がしたが、完全に沈み込んだ思考では、それが夢か現かを判断することは叶わなかった。