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よるにまぎれる 2

つづき

 誰かが必死に名を呼ぶ声が聞こえる。あまりにも切ない声を上げるものだから、思わず手を伸ばしてしまった。誰を探しているの、と。しかし、誰かはこの手が触れる寸前で光の中へと消えてゆき――そこで、隼人は目を覚ました。

 唐突に戻ってきた暗闇の世界に隼人が目を白黒させていると、かなり狼狽えた瞳の幼馴染が、自分のことを見下ろしていることに気付く。

「……サライ……?」

「ああ、よかった……! このまま朝まで起きなかったらどうしようって、色んな意味ですごく心配してたんだよ……。大丈夫? 体、起こせそう……?」

「お、おう……」

 サライの口ぶりからすると、隼人が気を失ったことはそれほど大ごとではなかったようだ。どちらかと言えば、彼女が危惧していたのはこの状態――つまり道端で眠る隼人につきそうサライと言う絵面である――で朝を迎えることだったことが窺える。

 幸い強く体を打ちつけた様子はなく、思ったよりもすんなりと体を起こす隼人を見て、サライはホッと息をつく。そんな彼女の様子に、隼人ははじめからそこにいたような錯覚を覚えてしまいそうになるが、彼女が存在するこの空間に違和感を感じるのが正しい感覚であることは明白である。

「……っなんでサライがここに!?」

 そう。今この場所に、彼女の姿があるはずがないのだ。いつも真面目で横道に逸れることなど想像もできない彼女のことだ、この時刻に彼女がいる場所としては、おおよそベッドの中が正解なのだと隼人は考える。と言ってもこれはあくまでも隼人の想像であり、実際にはまだ、テレビを見たり友人と電話で話し込んでいるなどの事情もあるだろうが――それはさておき、少なくとも彼女が午前零時を過ぎた屋外に居るという事実は、隼人にとってはかなり意外なものであった。

 そんな思いから出たのが先程の言葉である。隼人はてっきり、彼女が言い訳もせず頭を下げるものかと考えていたため、次にサライの口から出た言葉に、本日二度目の驚愕を覚える事となる。

「なんでって……それはこっちのセリフだよ! なんで隼人くんが外にいるの……!?」

「へ!? ……あ、いやそれは……ちょっと忘れ物を取りにだな?」

「そういうのは、夜警さんに任せなきゃだめだよ……!」

 サライの言う〝夜警〟というのは、季報に名が載っている、午前零時を過ぎた屋内で活動できる人間のことである。隼人はサライに至極真っ当なことを言われたじろぐが、一度は連絡をとろうとした旨を説明する。

「でも、そんな知らない大人に迷惑はかけられないだろ……」

「そういうことをするために居るのがその人達なんだってば……。というより、そういう理由だったなら私に言ってくれれば……」

「……は? なんで」

 突然の申し出に隼人はキョトンとするが、サライはゆるゆると首を振る。

「季報、開きはしなかったんだね。私もそこに載ってるんだよ」

「マジで?」

「うん。マジだよ」

「はあー……どうりで」

 真剣に彼を叱るサライをよそに、隼人は疑念が晴れた満足感に浸っていた。

 ――だよな、あのサライが約束を破って外に居るわけがないよな。

 どこか安堵にも似た感情が湧き上がるが、かと言って彼はmサライが約束を破っていたのだとしても違和感を感じるだけで、嫌悪感などあるはずもなく。その違和感は、適切な言葉に置き換えれば〝意外である〟と言うほかなく、新たな一面として受け入れられない程のものではない。

 とりわけ、サライは幼少より付き合いのある気心の知れた仲である。少々悪い面が見えたとして、まだまだ隠れた側面があるものなのだと逆に興味深くなってしまう気さえ感じられる。

 一人で納得し頷いている隼人を見、サライは特段障りはないと判断したのか、背後で周囲を警戒していた男性に声をかける。

「ごめんねおじさん、もう大丈夫みたい」

「構わんよ。怪我をしなくてよかった」

 男性はにこやかに答えるが、隼人に視線を向けると、大きめのため息をつく。

「……まあ、決まりを守らなかったことに対しては、良しとは言えんがな」

「す、すんません……」

「それは彼女にいいなさい。それじゃあ、俺は退散するよ」

「ありがとう、おじさん」

「ああ」

 二人に手を振り歩き去る男性を見送りながら、隼人は問う。

「あの人は?」

「私市の川向こうに住んでる茶蔵桃二さん。私と同じ、夜警の人だよ」

「なるほど、見たことあるような気がしてたんだよな」

「もう……マイペースだなぁ……」

 隼人の場にそぐわぬ発言に呆れるサライだったが、やがて少しずうこちらに近づいてくる音に姿勢を正す。

 

「ど、ぉ、い、きゅ、お……ぁ……?」

 

「今日はなんだか騒がしい……隼人くん、そろそろ行こう。立って」

「おう」

 サライが差し出した手を隼人が握ると、彼女はそのまま引き起こそうとする。が、その必死さに反して、一向に彼の体は地面から離れず、困惑した声をあげる。

「あ、あれ……? んしょ……んん……?」

「……ふっふ」

「も、もう……笑ってないで。隼人くん、ほら、いくよ」

「すまん、つい」

 子供に言うようにたしなめられ、隼人は苦笑しながらも彼女の手を借り立ち上がる。すると、サライはそのまま隼人の手を引き歩き出した。

「おいおい、子供じゃねーんだぞ。一人で歩けます」

「これはおまじないだから。振りほどかないでくれると嬉しいな」

「いや、別に振りほどきゃしないけど……」

「そう、なら良かった。このまま家まで送るからね」

 サライは一度振り向き微笑むと、それ移行は無言のまま歩き続けた。普段からそれほど空気を読む気のない隼人だったが、そんな彼が口を開こうという気になれない程度には、何事かを深く考え込んでいる様子だった。隼人は彼女の右手に握られているものが気になっていたが、これについても今は聞かない方が懸命だろう。

 

 やがて隼人の家の前に辿り着くと、サライはくるりと向き直る。先程までの緊迫した空気は感じられず、いつもの彼女に戻ったようだった。

「着いたよ、隼人くん」

 繋いだ手がはらりと解かれ、隼人は少し名残惜しげに自身の手を見つめる。

「久々に手、繋いだな」

「もう子供じゃないんでしょ?」

「まあな」

 へらりと笑う隼人の前に立つサライは、少し真剣な顔をし、瞳を覗いた。隼人は即座に、それが先程までサライが考え込んでいたことに関係があるのだと察し、おとなしく彼女が話し出すのを待つ。

「……隼人くん」

 一度名を呼び、サライは言った。

「今夜のことは、全部忘れるんだよ。私のことも――〝夜〟のことも。絶対だからね」

「夜……? いや、いいや。でも忘れろったって無茶だろ……」

「無茶じゃないよ。あと、もう絶対に約束破っちゃだめだからね。今度は本当の本当に怒るから。……隼人くんも、もう怖い目に遭いたくなんてないでしょ?」

 ね、と念押しされ、隼人はこくこくと頷く。確かに、もうあのような心臓に悪すぎるドッキリはたくさんである。

 隼人が頷いたのを確認すると、サライはよし、と手を合わせる。

「携帯はすぐに届けてもらえるようにするから、それが届いたらもう休んで。……ちゃんと寝るんだよ?」

「それ、さっきも言ってたよな」

「もう昨日のことだよ、隼人くん」

「……確かに」

 一通り離し終えると、隼人はサライに手を振り、出たときと同じように窓から自室へと戻る。顔を出して彼女の方を確認すると、すでに立ち去ったあとのようで、月光に照らされた艶やかな黒髪が揺れることはなかった。

 携帯は彼女が言うようにすぐに届けられ、その後隼人はサライの言いつけ通りに潔く布団へ潜り込む。彼女の願うよう、すべてを忘れ去ることはできそうにもないが――昂ぶる精神とは裏腹に、その日はあっけなく眠りに落ちたのだった。

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